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つんく♂×放送作家・鈴木おさむが“超”語る、あのアイドルの素顔

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」、今回の対談ゲストは放送作家の鈴木おさむさん。『SMAP×SMAP』などの超人気バラエティ番組を数々手掛けてきた鈴木さんは、過去につんく♂さん出演の番組制作にも携わり、そこでお互いに絆を深めあってきたそうです。

今回の対談は、鈴木さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『JUMP UP MELODIES(FM TOKYO)につんく♂が生出演した直後に実施。

鈴木さんのパーソナルな話から、伝説のバラエティ番組制作の裏側、これからのエンタメに求められるものなど、つんく♂さんも鈴木さんも思わず白熱!ということで、三部構成の大ボリュームでお送りいたします。
<構成 田口俊輔 / 編集 ピース株式会社 /写真  ヤギシタヨシカツ>(取材協力 note place

鈴木おさむ氏も絶賛!つんく♂の“多様性ラジオ”出演裏話

つんく♂:よろです!ラジオ、久々でちょっとおもろかったわ。成立してたかな?

鈴木:大丈夫でしたよ(笑)。今回のつんく♂さんの登場について、Twitter上で届いた「多様性ラジオ」という感想は素晴らしいですよね。

つんく♂:TOKYO FMのみなさんも、よくOKしたよね。

鈴木:確かに僕が最初「つんく♂さんが出てくれる」って伝えたら「つんく♂さんって……喋られるんですか?」と言われて。

つんく♂:(笑)。普通アウトよね。けど、みなさん受け入れてくれて、助けられました。

鈴木:あの番組のスタッフはガッツがあるんです。この前はラジオの前半に山下達郎さんが来てくださって、その後半はダチョウ倶楽部さんに出ていただいたんです。2人になってからの番組出演は高田文夫さんの『ラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)に続いて、僕の番組が2回目で。「今のダチョウさんと向き合って、面白い方向に持って行きたい、ラジオの面白さに気合いを入れよう!」と思っていたタイミングで、つんく♂さんから連絡がきて。これはもう……燃えましたね。

つんく♂:僕も「いくいく〜」って(笑)。けど言った後、「あれ?どうやって出ようか?」って思った。

鈴木:つんく♂さんがテキストを打ち込んでいる間、無言の時間になるので、最初はその空白にソワソワしていたんです。それがだんだん、空白が「良いな」と思うようになってきて。ああいうのは、もっとやった方がいいと思いますよ。

つんく♂:実はちゃんと言葉を選んで話すので、ぺちゃくちゃ喋っていた時よりも、中身がまとまっているんだよね。僕、コメントも昔は雰囲気で話していたなあって思う。大分雑やった。

鈴木:そうなんですよね、僕も雰囲気で喋ってしまうので、後でテキストにして見てみると「何を言っているんだ?」ってなりますからね(苦笑)。時折成立していないこともありますし。

つんく♂:(大きく頷き)大したことは、言っていないんよね。

鈴木:そうですよね。「最近聴いている音楽はありますか?」という質問をされたとき、話しながらふわ〜っと喋って最後にまとめていきますけれど、テキストで答える時は、ちゃんとした形になっていますからね。

つんく♂:100文字で済むことを、10分かけて話しているもんね。

鈴木:そう。すぐ答えられることをごまかして、雰囲気で話しちゃいますからね。

つんく♂:(笑)。そうそう。ラジオでも話してくれたけど、(鈴木おさむが出演した)YouTubeの『街録ch』を見ていて、へ~!て思うことが多かったよ。おさむちゃんについて知っているようで、あんまり知らないんよね。

鈴木:そうですね。僕がつんく♂さんと最初にお仕事をした『つんくタウン』の頃が30代手前頃だった気が……『つんくタウン』の頃って、おいくつでした?

つんく♂:確か『ASAYAN』の頃が29歳やから、『つんくタウン』は32歳くらいかな。僕は1968年生まれで、菊池桃子ちゃんと同じ学年やから。

鈴木:僕と4歳違うんですね。この前、(演出家の)都築浩さんとつんく♂さんの話になったんです。あの頃、つんく♂さんはもう、ものすごく忙しいから、「カップみそ汁の具で、どれを食べようか考えているのが人生で一番幸せな瞬間」だと言っていて。

つんく♂:冷めた弁当ばっかりやったから、あたたかいものに飢えていて(笑)。

鈴木:すごいスピードで仕事をしていましたからね。以前、秋元康さんと対談した時、「1日最高で8曲書いたことがある」と語っていたんです。秋元さんは作詞ですが、つんく♂さんはどのくらい書いていました?

つんく♂:詞・曲で言うと、一気に3曲くらいかな。けど歌詞だけなら8曲くらい書いたかもね。その辺がマックスだったはず。

鈴木:すごい!それだけ忙しいと、歌を作っていて「これ、あの曲に似ているなあ……」となること、ありませんでした?

つんく♂:それはある。例えば、歌詞なら、単語はそんなに気にしないし、言い回しが違うなら気にしない。メロなら、2小節以上のフレーズがまるまる似てるなら変えるね。それ以外はクセってことで(笑)。ただ、僕の場合、「メロが似てる」ってあんまり言われない気はしてます。

とんねるず、『夢で逢えたら』、大映ドラマが、自分を導いてくれた

つんく♂:おさむちゃんの出身地は、どこやったっけ?

鈴木:千葉県の南房総市です。館山市の隣町と言いますか、房総半島の最南端のめっちゃ田舎で。高校の先輩ですと、世代では被っていないのですが(X JAPANの)YOSHIKIさんとToshlさんがいました。

つんく♂:都会ではないんやね。東京まで、まあまあ遠いよね。

鈴木:すっごい遠かったですね。当時はアクアラインがなくて、電車で東京に行くと4時間はかかった。特急でも待ち時間を含めて3時間かな。街にも映画館がないし、高校時代でもレンタルビデオ店すらない状態でした。もう、田舎の中の田舎でしたね。

つんく♂:結構田舎やな。大阪でも東京まで3時間やったもんなあ、そう思うと遠い。

鈴木:そうなんです。ただ、千葉の中でも田舎なのに、ニッポン放送が入るから『オールナイトニッポン』も聴けて、テレビも普通に東京の局の番組が見られる。しかも雑誌も普通に発売されるので、僕に届いてくる文化は「バブル全盛期の東京」のものだったんです。そのせいで、ものすごく文化に飢えていましたね。

それが、小学4年生の頃に『笑っていいとも!』が始まることで大きく変わるんです。僕の小学校の担任が変わった方で、給食中にテレビをつけて、普通なら教育テレビを流すところ、その先生は『笑っていいとも!』をつけてくれて。

あの当時のタモリさんはまだアングラの人なのですが、先生は「テレフォンショッキング」を見ながら、ゲラッゲラ笑っていたんです。それを毎日見せてもらえていたことで、元々好きだったテレビバラエティの偏差値をさらに上げてくれましたね。それが僕にとっては大きいですね。

つんく♂:僕と4歳差だと、時代感はそこそこ違うかも。とんねるずを知ったのは中学生?

鈴木:そうですね。僕の姉がつんく♂さんと同い年なので、ちょうど中学1年生ぐらいかな。『雨の西麻布』で売れて、1枚目のアルバムが出た頃ですね。

つんく♂:僕の中のとんねるずは『お笑いスター誕生』。土曜の昼、高校1年の頃だね。

鈴木:僕の中では『夕やけニャンニャン』、しかも毎週出ていた頃の印象ですね。とんねるずさんの何が衝撃って、もう……テレビで人を殴っていたじゃないですか(笑)。

つんく♂:(笑いながら「あったなあ」と、腕を振り上げる)。

鈴木:『ザ・ベストテン』の静岡ロケで『雨の西麻布』を歌っている中、石橋貴明さんがバッコンバッコン人を殴っていた時、もう「行け~!!」ってなっちゃって。この時に、今で言う“推し”になりましたね、強烈なとんねるず“推し”。

確か小学6年生で『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が始まって、中2の頃にたけしさんがフライデー襲撃事件を起こして、番組に出なくなるんです。そのたけしさんが出なくなった頃に「ダンス甲子園」が始まったことで、テリー伊藤さんが作る番組にも影響を受けましたね。

その中でも爆発したのは『ねるとん紅鯨団』のスタート。それで高校1年生で『とんねるずのみなさんのおかげです』が始まった。この頃が、僕が一番テレビから刺激をもらった時期ですね。

つんく♂:やっぱ東京文化の刺激は大きいんやね。僕もその辺を刺激にしてる。

鈴木:実家がスポーツ用品店を経営していて、店内に喫茶代わりの大人たちが戯れる空間があったので、そこに毎日のように人が来ていたんです。働く店員さんの趣味の影響か、お店用に毎週『少年マガジン』と『少年サンデー』を取ってくれていたんです。小1の段階から毎週のようにジャンプ、マガジン、サンデーを読んでました。

あと、僕はお婆ちゃん子で、小学生1年生の頃からお婆ちゃんが毎日おこづかいを200円渡してくれていたんです。そのおかげで、2日に1冊のペースでコミックが買えました。おかげで黄金時代のジャンプ作品をメチャメチャ読めたんですよね。

 つんく♂:なるほどな~。ちょっと下の学年の方が、もしかしたらエンタメが多かったのかも。アニメも充実しているし。

鈴木:そうかもしれないですね。つんく♂さんが子どもの頃に流行っていたものはなんですか?

つんく♂:僕が刺激を受けたのは、小5でYMO、RCサクセション、サザン。中学3年でチェッカーズ。

鈴木:あ~!僕、中1の頃に、明石家さんまさんがサザンの『KAMAKURA』というアルバムのCMに出ているのを見たことをきっかけに、初めて『KAMAKURA』でCDを買ったんです。そうしたらサッカー部の先輩に「サザン?ダサッ!!」と言われて。この頃は、BOØWYやザ・ブルーハーツの影響でバンドブームが始まって、サザンは“大人のもの”という扱いだったんです。つんく♂さんが言う通り、僕らの世代とつんく♂さんの世代ではこう、(エンタメの量が)違いますよね。

つんく♂:チョイスする枠が広いかも。僕らはテレビが売り込んだものがそのまま文化やったから。それが高校やったもん

鈴木:そうですね、幅が広がった年ですね。洋楽もマイケル・ジャクソンやマドンナと入ってきて、(小林克也さんの)『ベストヒットU.S.A』が、すごい変えてくれたんですよ。まさにテレビが発信するものがカルチャーになって、巨大な権力になっていって(笑)。たけしさん、タモリさん、さんまさんが「BIG3」と言われて、とんねるずさんがブレイクして。

そして中学3年の後半ごろ「お笑い第三世代」ブームがきて、ウッチャンナンチャンさんがネタを披露していたんです。それで高校1年生の頃に、フジテレビの深夜でダウンタウンさん、ウンナンさん、野沢直子さん、清水ミチコさんが出演していたコント番組『夢で逢えたら』が始まるんです。この番組は本当に僕に一番の刺激を与えてくれて、この時から本格的に放送作家を目指すようになりました。

あと、僕の中でめちゃくちゃ影響が大きかったのが、小学生の頃に見ていた大映ドラマ。小5で『スチュワーデス物語』を見て、小6で『スクール☆ウォーズ』が始まり、『不良少女とよばれて』が流行って。

つんく♂:そういう意味ではいいお客さんやったんやね。

鈴木:そうなんです!僕、小6で生徒会長になったんですね。生徒会長になると毎月、「町の人口の増減」とかを全校生徒の前で発表しなければいけなかったんです。その発表の中身が毎回あまりにも面白くなくて、先生に「中身を変えていいですか?」と相談したんです。それで何をやってもいいことになり、自分で初めてお芝居を書いたんです。まあ中身は『不良少女とよばれて』をベースにして、女装した僕が演じるマッチ売りの少女が不良たちにカツアゲされるという内容で(笑)。それがメチャクチャウケたんですよ。それが僕の初めての成功体験でしたね。

つんく♂:最初は演者気質だったの?

鈴木:いえ、その時は自分で全部やるのが一番早いと思い、作・演出・脚本を全部自分でやりました。最初は一緒にやってくれる生徒会のみんながめっちゃ嫌がったんですよ、けど「絶対にウケるから」と説得して、僕が演技をつけました。

つんく♂:へえ!小学生の頃からずっと「出る構成作家」なんやね(笑)。

鈴木:そうです、そうです(笑)。

「サブカルに憧れた」鈴木おさむのザ・ど真ん中エンタメ人生

つんく♂:おさむちゃんの話を聞くと、基本的にテレビから得た情報が今の仕事に繋がっていると思う。ただどちらかというと、マニアックな方向ではなく、ド真ん中だよね。たとえばリリー・フランキーさんはサブカルチャーを歩んできた中で、王道をやろうとしていて、おさむちゃんと似ているようで似ていない。おさむちゃんはもっと、ザ・ド真ん中を歩んでいるよね。

鈴木:そうですね、ド真ん中ですね。ただ、それが悩みなんです。今はオタクやサブカルチャー気質を持っている人の方が集客やマネタイズができていますよね。

つんく♂:まさに!そうなんよ。僕、マネタイズ下手やからなぁ……(笑)。

鈴木:秋元康さんがすごいのは、ド真ん中のフリをしていますが、あの時代のサブカルチャーの感じをうまく構築しているんですよね。

つんく♂:秋元さんも元々はラジオ構成作家だったやろ。おさむちゃんと何が違うんやろ?例えばドラマを作っても、秋元さんはサスペンスものが得意やん。そう考えると、持っている視点が斜めなのかな。

鈴木:秋元さんと僕の大きな違いは、思春期に刷り込まれたものがたぶんサブカルなんですよ。僕はド真ん中で、学級委員長をやって、「とんねるずが好きだ!」と、この世界に入ったので。僕は19歳でこの世界に入ったのもありますが、20代を悶々と過ごしていた人のサブカル魂の方が今ウケているんですよね。

つんく♂:マガジンもジャンプも毎週読むぐらい漫画が好きだったわけやん。けれど、オタクな漫画の方には行っていないでしょ?

鈴木:行かなかったですね。

つんく♂:ラジオは聞いていた?

鈴木:ラジオも聞いていました。ただ、僕らの時代はラジオも一個のカルチャーで、『オールナイトニッポン』を聞くにしても、とんねるずだったりして。小説も結局ド真ん中のものばかり読んだりと、本当に根っからザ・ド真ん中。なので、サブカルチャーへの憧れはありましたね。

つんく♂:僕も!アニメも声優もちょっとは触れるけど、深くいく前に飽きちゃうの。

鈴木:わかります!

つんく♂:『アニメトピア』や『アニメージュ』に触れた時期があるんやけど、もっと詳しいヤツがおると「これはムリや」と逃げちゃう(笑)。オーディオも凝るけど、そっちの方にはもっとすごいヤツがおるから、「もうええわ」ってなっちゃって。

鈴木:一つの作品の造形を深く掘り下げる人がいますよね。例えば『ストレンジャー・シングス』が好き!という人がいたとして、その人はブワッ!と作品の魅力を掘り下げていく。僕は、「うわ、面白い!」というその時の感動や興奮があって、そこで満足して終わりなんです。

つんく♂:(感想を)バーッ!と言うて、終わりやろ?

鈴木:終わりですね。それと同様に、“感動バージン”をたくさん経験していて(笑)。味わうより「ここも、あれも!」と、最初の時の興奮と感動を多く経験したいという人間なんですよね。

つんく♂:僕らが『つんくタウン』という番組で一緒に仕事をしたころは、僕は『ASAYAN』があって、おさむちゃんは『めちゃ²イケてるッ!』もやっている。お互い全部ド真ん中。けど、当時のおさむちゃんは「ちょっとマニアックですから」という顔をしていたよ(笑)。

鈴木:そうですねえ(笑)。ただ、あの頃は何がサブカルで、何が真ん中なのか?を深く考えていなかっただけなんです。

「いかに彼らに振り落とされないかを考えていた」人生を変えた国民的アイドルとの出会い

 つんく♂:今回、おさむちゃんと色々話したいんだけれど、大きなテーマとして「SMAP以前とSMAP以降」というのがあって。おさむちゃんは長年SMAPと仕事をしてきて、芸能界の色々を見てきたわけで。そのおさむちゃんが、最初に彼らと仕事をすることになったきっかけは?

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