目立ちたがりの少年が、東京ドームに立つまで シド・マオの生い立ちをつんく♂が深堀り!
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目立ちたがりの少年が、東京ドームに立つまで シド・マオの生い立ちをつんく♂が深堀り!

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」、対談企画第5回目ゲストは、人気ヴィジュアル系バンド、シドのボーカリスト・マオさんです。もともとは男子同士でふざけているタイプの小学生だったマオさんがバンドを始めたきっかけや、シドへの想いなどを、つんく♂ががっつり深堀り。対談後編は明日12:00更新予定です。
(文 藤谷千明 / 編集 小沢あや

「女子ウケより男子ウケを優先」マオの幼少期

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つんく♂:マオは、年齢は公表してるんだっけ?


マオ:はっきりと公表はしてないです。でも、僕が冗談で「31歳だから」とか言うと、ファンは笑うので、皆なんとなく知ってるようですね(笑)。

つんく♂:じゃあ、ざっくりとね(笑)。俺より10個下くらいかな? 出身は福岡だっけ? どんな子ども時代だったの?

マオ:子ども時代は、目立ちたがり屋でしたね。昔の写真を見ると、だいたい真ん中でピースしています(笑)。

つんく♂:いわゆる「三枚目」やったん?

マオ:だと思います(笑)。ずっとふざけていて、女子ウケより男子ウケを優先させてましたね。

つんく♂:女子ウケじゃなかったの?


マオ:そうですね、女子からはあんまり人気なかったです。ただ友達はいっぱいいたかな。

つんく♂:じゃあ、バレンタインは結構チョコもらった?

マオ:いやー、小学校の頃は全然でしたね〜。


つんく♂:背は高かったんやっけ?

マオ:小さかったです。中学に入ったとき、138cmで。

つんく♂:ちっちゃ!


マオ:そうなんです。中2くらいで伸びたんですけど、それまでは「ずっとこの感じかな?」と、ちょっと不安でしたね。

つんく♂:運動神経はどっちやったの、良かった? 悪かった? 勉強はできた?


マオ:あまりいい方ではなかったですね。徒競走でも8人中、5番目くらいかな。勉強は、やればそこそこ点数とれたけど、とにかく嫌いでしたね。

つんく♂:じゃあ男友達からは人気で、クラスの中心グループにはいるけど、学級委員ではない……って感じか。

マオ:学級委員とかは全然やっていませんでしたね。ふざけていて、いざというときも特にキッチリやれないタイプでした。

つんく♂:だからといって、いじめられてるわけでもなかったんやろ?

マオ:うーん、僕らの幼少期って、毎日当たり前のように立場的が強くなったり弱くなったりしていたんですよ。やられるポジションが自分に回ってくることもあったけど、ひどいいじめを受けたり、やられたりしたことはないですね。

つんく♂:小学校5年とかになると、音楽や芸能界も気になる頃やん? 小さい頃は音楽とはどういう接点があったの?

マオ:小学校5年生くらいの頃、CDを初めてレンタルしました。それをカセットにダビングして、中学校に入ってからロックバンドを聴くようになりましたね。ファッションも、ロックミュージシャンのマネをしたいけれど、お金ないから古着とかで似たようなの探して着ていました。田舎なので、周囲にあまりそういう人はいなかったし、ちょっと浮いてたかもしれないですね。

つんく♂:福岡とか、ちょっとヤンキー系に走るやつも多そうだけど?

マオ:こんなことインタビューで言ったことないんですけど、見た目はヤンキー……でしたね、多分。やばい、初めて言ったかも(笑)
。

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つんく♂:田舎のオシャレといったら、そもそも都会とは買いに行くところが違うからね(笑)。

マオ:そうですね、いわゆるヤンキー。『ビー・バップ・ハイスクール』的なファッションの全盛期だったんですけど。僕らのいたグループは、その中にロックやパンク要素が入っていました。だから変な改造制服を着てるけど、足元はラバーソール履いてる……みたいな。当時は日本のビートロック、パンクロック、ビートパンク系を聴いていて、THE STREET BEATSや横道坊主に憧れて、とにかく彼らの真似していました。

つんく♂:おおおー! じゃあ、当時からボーカル志望だったの?

マオ:僕はまだバンドを始めてなかったけど、「かっこいいな」と思って革ジャン着ていました。

つんく♂:丘サーファーならぬ、丘バンドマンや(笑)。しかし、結構、骨太やな〜! THE STREET BEATSや横道坊主って、時代的には俺らのちょっと先輩なんだよね。俺も、ライブハウスに行って、ビラ撒いてたわ。

マオ:当時は男らしいバンドが好きだったんです。僕も今でも、コロナ前にはたまにライブを観に行ってて。当時を思い出して、ワクワクします。

つんく♂:じゃあ、いわゆる「芸能界」……テレビの中の世界については、どうやった?

マオ:芸能界……。そうですね、トレンディドラマ大好きでした。『東京ラブストーリー』をテレビにかじりついて観ていましたね。

つんく♂:中学生くらいで? だいぶ刺激的やね(笑)。 


マオ:今でも定期的に見返すくらい、大好きです。

バンドを始めたのは「みんなにモテたかった」から

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つんく♂:高校時代から、バンドを演る側になったの?

マオ:中学校のころからパンク系バンドをやってる友達がいたんですけど、僕はなぜか一歩踏み出せなくて。高校に入って、今でいうヴィジュアル系に出会いました。黒夢、GLAY……。男が化粧してバンドするのは、当時僕の中では正直ナシだったんですけど、一気に変わりましたね。

つんく♂:バンドが一番売れてた時代やから、刺激はあるよね。

マオ:シャ乱Qも、もちろん聴いていました。

つんく♂:俺らも、ロックと芸能界を行ったり来たりしてたね。


マオ:そうそう、当時「つんく♂さんに似てる」って言われてる友達がいたんですよ。僕は似てると思ってなかったけど(笑)。そいつがどんどん「つんく♂っぽいとモテる」とか言い出して。最初は襟足長かったのに、いつの間にか後ろ刈り上げてきたりとかして、すごく意識するようになったんです。

つんく♂:お! そうなんや。ありがたい子やん(笑)! じゃあ、バンドでプロになろうと思ったのはいつから?


マオ:高校の頃に地元でコピーバンドやってて、オリジナルをちょいちょいやってた頃には、「自分はもう東京行く」って決めてました。当時のバンドメンバーに「一緒に東京行こうよ」と誘った結果、当時のメンバーと2人で上京しました。

つんく♂:シドのメンバーと?


マオ:いえ、今のメンバーではないです。
福岡でちょっと下積みやってから上京しました。

つんく♂:モテたいバンドマンって、二通りいるじゃない。「みんなにモテたいからバンドやってるやつ」と、「口説きたい子、もしくは恋人のためにバンドやってるやつ」。マオは正直、どっちのタイプ?

マオ:完全に「みんなにモテたい」ですね。いろんな人に見られたいし、女の子にキャーッ! て言われたい。そんな気持ちが、9割くらい(笑)。

つんく♂:小学校のときは男の子たちの盛り上げ役だったのに、どこで「モテたい」スイッチに変わったの?

マオ:中学生くらいでスポーツやルックスとかで飛び抜けてる男子っているじゃないですか。そこに元々憧れはあって。僕は当時はモテなかったけど、その頃からカラオケ行くと「歌は上手いね」と言われることは多かったんですよ。「もしかしたら、俺は歌でいけるんじゃないか」と、密かな可能性にかけていました(笑)。

つんく♂:へー! ちなみに、そのころの恋愛事情、聞いてええの? 初恋の話とか覚えてる?

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総合エンターテインメントプロデューサー / TNX株式会社代表取締役社長。1992年、ロックバンド・シャ乱Qのボーカリストとしてデビュー。音楽家として作詞・作曲と、「モーニング娘。」をはじめとした数多くのアーティストプロデュースを手がける。