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僕の音楽人生に革命を起こしたエンジニアとの出会い

マガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」のご愛読、ありがとうございます。今回はシャ乱Qとしてのデビュー後、音楽人生を変えたエンジニアさんとの出会いについて振り返ります。「みんなのつんく♂エンタメTOWN」で連載していた内容を、特別編集して掲載いたします。
<文 つんく♂ / 編集 小沢あや(ピース) / イラスト みずしな孝之

以前、シャ乱Qのデビュー曲「18ヶ月」の話をしましたね。

この後、プロになってから作った2nd シングル「とってもメリーゴーランド」、そして僕の音楽人生を変えたエンジニアさんとの出会いについても振り返ろうと思います。『ASAYAN』でモーニング娘。のレコーディング時に散々映ったあのスタジオの成り立ちも含めてね。

2nd シングル「とってもメリーゴーランド」は、デビューの為に上京した1992年以降に東京で作曲したものです。レコード会社と事務所の人間が集まって、メンバーが作って来た曲を聴く「楽曲選曲会議」というのがあって、それに間に合うように曲を作るんです。

アマチュア時代には僕とはたけで年間4〜5曲作ったら「もう何も作れない!」って感じのしぼりカス状態だったのに、プロになったら「時間がめちゃあるんだから、来週までに1人2〜3曲は作って持ってきなさい」と言われて、その会議までに曲を作って提出する、というサイクルでした。

結局、何回会議をしたか記憶にありませんが、会議するたびにメンバー全員で4、5曲程度ずつは提出したと思います。結果、会議の中で選ばれたのが、この「とってもメリーゴーランド」でした。

たくさん練習スタジオにも入ったし、バンドアレンジも重ねましたが、何度も何度もステージで歌ってきたアマチュア時代の曲とは違い、この曲自体が体に入ってないので、アレンジも何が正解かわからなくなります。ようやくアレンジが固まると、次は歌が定まらない。どう歌っていいかわからないんですよね。ポリシーとかスタイルみたいなものがなかったので、まったくもってダメダメ太郎のへなちょこ歌となってたように思います。今聴くと、ですが(笑)。

自分で書いた曲だから、少々歌い節が変わろうが、別にそれでも正解なのに、自分で書いた音符に引っ張られて、メロを追うように歌ってた感じかな。まるでカラオケの時に出てくる音階マークに当たるように探りながら歌ってるようでした。

そうなると、リズムも消えるし、メッセージも入ってこない。そもそも歌詞も何やら軟弱で、彷徨ってたんだな〜って思います。そら電グル(電気グルーヴ。1991年にメジャーデビューした先輩バンド)にいじられるわな! って感じ満載。よく、ラジオでいじられてました。

3rdシングル「友達はいますか」も然り。張り切って歌って、ビブラートも効かせているけど、声量が必要以上に多く、歌唱法が定まってない(ロジカルでない)って思います。

さて、その頃のアップフロントを振り返ってみましょうか。当時のアップフロントは、堀内孝雄さん、高山厳さん、KANさん、森高さんが連続のミリオンセールのヒット。ニューミュージック系のプロダクションの中では正直バブっておりました。

シャ乱Qが所属したばかりの頃は、青山のビジネスオフィスのワンフロアだったのに、ものの数カ月でそのビルの2フロアーを借りて、そこからものの数カ月でまたすぐ隣のビルの数フロアを借り、1Fにはレストランも作っていました。それほどのバブルっぷりだったんです。

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