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長年続く「ハロプロの凄さ」の本質って? 南波一海×つんく♂対談

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」、今回の対談ゲストは音楽ライターの南波一海さんです。AKB48やももいろクローバーZが台頭した2010年代から、ハロー!プロジェクトをはじめ、様々なアイドルに取材している南波さん。自身もレーベル「PENGUIN DISC」を主宰し、音楽的な側面からハロプロの魅力を語っています。南波さんの音楽ルーツを、つんく♂が引き出します。対談後編はこちら。
<構成 羽佐田瑶子 / 編集 小沢あやピース株式会社)>

出会いはBerryz工房×°C-uteの「超HAPPY SONG」インタビュー

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(南波一海さん「つんく♂さん、なんでも聞いてください!」)

つんく♂:こうやって会うのは、何回目だろう?

南波一海(以下、南波):何回目でしょう……最初は「ミュージック・マガジン」の「アイドル・ソング・クロニクル 2002-2012」でつんく♂さんとヒャダインさんの対談のインタビュアーとしてお会いしたんですよね。そのあとBerryz工房×°C-ute(ベリキュー)の「超HAPPY SONG」について、作詞作曲を手掛けられたつんく♂さんに直接インタビューする機会をいただいて。それが2012年です。

つんく♂:10年も前になるんか……こないだくらいの気持ちなのがやばいな(笑)。南波さんは何歳になったの?

南波:43歳になりました。ちなみに独身です。

つんく♂:43歳って、いい時期やね。仕事にも慣れてきて、中堅のいい時期やと思う。50歳を超えるとなにかとしんどくなってくるしね。

南波:そういうものですか……僕的には、30代の方がフットワーク軽く、日本全国あちこちに行けていた気がします。だけど、そういう体力もなくなってきましたね。

つんく♂:この2年はコロナの影響もあるしね。まあ、俺が独身の頃のイメージは、1日25時間くらい働いてた感覚があるわ。(笑)。それでも時間が足りないくらいで。年齢とキャリアを重ねて、なにか変わったことはある?

南波:僕はもともと口ロロ(クチロロ)というバンドで音楽をやっていたので、仕事としてライターをやり始めたのが30代と、すごく遅いんですね。だけどタイミングよく、AKB48やももクロなど「アイドル戦国時代」とよばれたアイドル全盛期とぶつかって。その当時は「興味があることはなんでも引き受ける」というスタンスで、正直、全然音楽的に興味がない人でも勉強をしてインタビューをすることもありました。

ですけど、最近は「興味があることだけをやりたい」というスタンスに変わってきましたね。ハロー!プロジェクトを追いかけるようになって10年経って、やっと「長く取材をしているからこその面白さ」みたいなものに気がつくようになりました。

つんく♂:音楽そのものの本質をわかっている人は少ないから、重宝がられるよね。

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(バンドマンだった南波さんに興奮し、ギターを手に取るつんく♂)

南波:ありがとうございます。音楽ライターとして、いろんなところで書けるようになったのは、そこの部分が大きいのかなと思います。20代のころ音楽をやっていたから、制作陣にも、ある程度専門的な話を聞くことができる。そこから、アイドルソングのクリエイターにスポットを当てたインタビュー本『ヒロインたちのうた』を出せたのかなと思います。

ただ、アイドルの取材はやっぱり難しいです。まず、メーカー側に曲の話をしてほしいという前提があって、その上で音楽について聞こうと思ったときに、「どうしてこういう曲になったのか」ではなく、アイドル自身が受け取った音楽を「どう感じたか」「どう表現するか」までしか話せません。そこにはいまだに、ジレンマがあります。制作の意図など、本当のところはわからないから、メンバーに話を聞きながら一緒に答えを探す感じになることは多々ありますね。

つんく♂:マイケルジャクソンくらいのクラスになると「僕が彼に◯◯◯ってオーダーしたんだよ」ってな答えも期待出来るけど、新人アイドルだとそうはいかんもんね。

南波:そうなんですよ。新人アイドルに「どういう音楽を歌っているのか、どういう音楽をやりたいのか」という話を聞くと、言葉に詰まっちゃうこともあるんです。でもそれは仕方がないことだと思うので、やり方を変えて違う話から近いことを聞くようにしています。

ただ、メンバー同士のキャッキャしている姿やプライベートな話を求めている人も当然いて。もちろんそこもしっかり抑えようとは思っていますが、僕の場合は「音楽的な側面に興味がある」という軸は変わっていないです。そこを珍しがられて、仕事をもらっていると思っています。

つんく♂:アイドルライターとして、2つを使い分けるしかないよね。「好きな食べものを聞く」ライターと「クリエイターにも質問出来る」ライター。能力を使い分ける人になるんやろうね。どっちかの人はたくさんいるけれど。

南波:だから僕は、クリエイター側の人に話を聞くのが大好きなので、今日はつんく♂さんにいろいろ聞きたいと思って質問を用意してきました!

カウンターカルチャーに憧れた、南波さんの青春時代

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(つんく♂「南波さん、なんでも聞いてや〜!」)

つんく♂:なんでも聞いて! その前に南波さんのことも知っておきたいんやけど、出身地はどこ?

南波:東京です。隣の中学校には福田明日香さんが居ました。高校からは私立の早稲田実業高校に行きました。

つんく♂:優秀な学校やん! その頃から、音楽が好きだったの?

南波:好きでしたけど、楽器とかはやっていないです。ヒットチャートにランクインするような曲よりもちょっと変わった楽曲が好きで、当時だと電気グルーヴとかですかね。本格的なテクノとポップスのバランスが自分にとって衝撃的だったので、追いかけていました。

つんく♂:メインストリームからはちょっと外れた楽曲が、元々好きなんやね。

南波:そうですね。いわゆるメジャーソングとは違うものを求めて、渋谷のあちこちのレコードショップに通っていました。94年前後なので、小室哲哉さんがものすごく活躍されていた時代なんですけど、そうした楽曲も随分冷めた目で見てましたね(苦笑)。

つんく♂:アイドルとも距離があった?

南波:いや、そこは普通の男子高校生として、アイドルも好きでした。僕が好きだったのは内田有紀さんや鈴木蘭々さん。CoCoとかribbonみたいなグループもあった一方で、一人のタレントが歌を歌っていた時代で、そういう人たちの楽曲が好きでした。

つんく♂:ただ、彼女たちも俗に言うメインストリームのアイドルとは違ったもんな。内田有紀ちゃんは女優でもあったし、鈴木蘭々は歌がうますぎた印象がある(笑)。

南波:鈴木蘭々さんのアルバムは気合いが入ってたんですよ。筒美京平さんが全面プロデュースした『Bottomless Witch』とか、すごく好きでしたね。今思い出しましたけど、もしかしたら僕は、そこからクリエイターさんに注目しはじめたかもしれないです。

つんく♂:オザケン(小沢健二)が「強い気持ち・強い愛」で筒美さんと共作してたやろ。シブヤ系はそのサウンドに馴染みがあるのかなと思う。

南波:おもしろいクリエイターさんが、アイドルソングを手がける流れはその頃からありましたよね。元ピチカート・ファイヴの小西康陽さんが手掛けられていた女優さんの音楽も好きで、よく聞いていました。

つんく♂:おしゃれやったよな。そこは俺と遠い話やねんけど(笑)。

南波:(笑)。だけど、メジャーな曲を聴いてなかったわけではないんです。音楽番組『HEY!HEY!HEY!』も見ていましたし、シャ乱Qとウルフルズがバチバチしてたのもおもしろかったです。

つんく♂:当時YouTubeがあったら、お互いに煽ってもっと売れたのかな、と思うけどな。

南波:そのやり取りって、僕からしたらスリリングでしたけどね。

つんく♂:結構マジでキレてたからな、俺は(笑)。そうしたら大学時代はどうやったの?

南波:早稲田大学に入ったんですけど、卒業には5年かかりました。高校は部活も楽しかったんですけど、途中から友だち(三浦 康嗣)とバンドを結成して、そこから音楽にどっぷりですね。ドロップアウトしそうになりました(笑)。

つんく♂:楽器は何をしていたの?

南波:最初の楽器は、サンプラーを買いました。当時は日本語のラップシーンが盛り上がってた時期で、アンダーグラウンドだけれど一つのムーブメントになっていました。僕もそこに思い切りハマった感じですね。それに楽器がわからなかったので、サンプラーさえあれば音楽ができるらしいと。そこから始まって、だんだんと自分たちで音楽をやるならそういう変わったものがいいと思って口ロロをはじめました。

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(このご時世でリモート対談となりましたが、ノリノリでポージングをしてくれた南波さん)

つんく♂:なるほど。そういう変遷があって、音楽活動をやってたんやね。メジャーシーンとは真逆の方向に向かってたわけや。

南波:ただ、マニアックな音楽をやっている自分たちへの反発もありました。なんというのか、「広く聴かれないこと」はダサいんじゃないかと。そういう思いもあって、それまでやってきたことを踏まえながら、少しずつオーソドックスなバンド形態になっていきました。

つんく♂:途中で脱退するわけやけど、バンドはどれくらいの期間やってたの?

南波:大体高校3年生からはじめて29歳までやっていました。その後、ライターになったんです。メンバーに頼るだけで、なにもできない自分が音楽で食べていくことが無理だと思ったし、そもそも表に立ちたい人間ではなかったことに気づいたんですね。

ライターになったのは、本当に偶然でした。取材をアーティストとして受けているときに、「会話が噛み合わないな」と思ったり、「自分ならこういうことを聞きたいな」と考えることがあったんです。あと、音楽自体はすごく好きなので、楽曲レビューを書いてみたい気持ちがありました。

それで、バンドに所属している時から、いろんな媒体の人に「書かせてください」って相談して、時々書かせてもらってたんです。そうしたら、バンドを辞めたときに何人かの編集者さんから「うちで書いてもらえませんか」と声をかけてもらって。

つんく♂:そうやったんや。それはうれしいな。

南波:うれしかったですね。辞めたときって、すべてが切断されたような気持ちになるんですよ。自分自身も卑下してしまって。だけど、バンドの冠がなくても、僕自身を求めてくれることが本当にありがたくて、一生懸命やりました。そうして気づけば、ライターが本職になっていた感じですね。当時、ちょうど音楽シーンではアイドルが盛り上がっていたんです。中でも、ももクロは、僕が書いていたような音楽雑誌でも取り上げられるようなアイドルだったので、そういう仕事が舞い込んでくるようになりました。

つんく♂:Perfumeもそうやけど、立ち位置としてはサブカル的な出発だったもんな。

南波:それが僕自身もおもしろかったし、雑誌側も取り上げ方を考えあぐねている中で、僕もいろんなアイデアを出せたことでつながったんだと思います。

アイドル戦国時代を駆け抜けたライター、南波氏が語るももクロとハロプロ。

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(南波さんとの対談中、テンションが上がってきたつんく♂)

つんく♂:ももクロの良かった点を、ざくっと教えてほしいな。

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