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つんく♂が鈴木おさむの歴史で振り返る芸能界「あの頃。」話

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」、今回も放送作家の鈴木おさむさんとの対談をお送りいたします。中編では鈴木さんのこれまでのキャリアの歩みにフォーカス。若くしてバラエティ番組で成功を掴む一方、ドラマ現場で大きな挫折を経験。道を模索する中で出会った大島美幸さんとの馴れ初めと、それに伴う生活・仕事の変化。エンタメを通じた子育てエピソードなど、濃厚トークをお届けいたします。前編はこちら。
 <構成 田口俊輔 / 編集 ピース株式会社 /写真  ヤギシタヨシカツ
>(取材協力 note place

つんく♂、バラエティで巨大ハリセンを喰らう『めちゃイケ』名物企画裏話

つんく♂:僕が出会った頃のおさむちゃん、仕事をバリバリにやっていたからというのもあるんだろうけど、めっちゃ重鎮の顔をしていて。けど実際はまだまだ若手やったんやね。

鈴木:そうですね、19歳でニッポン放送に入り、そこからとてつもない量の仕事やっていましたからね。それで24歳で『SMAP×SMAP』が始まったので、『つんくタウン』の頃にはチーフ作家になっていたかも。

つんく♂:そういえば、ちょうど『SMAP×SMAP』が始まった頃、シャ乱Qで作った『いいわけ』という曲が、中井貴一さん主演のドラマ(『Age,35 恋しくて』)の主題歌になって。『ロンバケ』と同じクールやったはず。

鈴木:その頃、よく覚えています。『とぶくすり』が終わった後に始まった『めちゃ×2モテたいッ!』という番組に、つんく♂さんにメチャメチャ出てもらっていましたからね。

つんく♂:確かギター一本持って『ズルい女』の曲が出来上がって、何日かした後に(プロデューサーの片岡)飛鳥さんから「これ(『ズルい女』)、『めちゃモテ」の中でやって」って言われて。まだオケも完成していない中、僕だけ呼ばれて弾きにいったもん(笑)。後にも先にもこんなことないよ。今の僕なら絶対に断ってる。

鈴木:本当ですか!

つんく♂:1年目なら「やります!」と言っていただろうけれど、ギターもそこら辺にあったものを持って行ったし、楽器をセッティングしてもらえるわけでもなく、(直接マイクで録音する振り)こんな感じで撮られて、自分の中でまだ消化しきれてない状態でなんとかやりすごしたのよ。めちゃドキドキした。あれはちょっとした思い出やね。

鈴木:確か『ズルい女』って、『今田耕司のシブヤ系うらりんご』のエンディングテーマなりましたよね。『シブヤ系うらりんご』には飛鳥さんが関わっていて、ナインティナインさんや東野幸治さんとかも出ていて。確かスピッツもエンディングテーマに使われていましたよね。

つんく♂:そうそう。エンディングは1カ月で変わるシステムになっていて、最初はスピッツで、次に僕らが使われた。レコード会社もガンガン稼がな!と、バンバン金使ってくれて、そのおかげでグワッ!と行けたんだよね。

鈴木:その頃、『めちゃモテ』が終わって、1カ月後ぐらいに『めちゃ²イケてるッ!』が始まって、僕はそっちにも携わるようになるんです。僕が出した企画の中に「STAMP」という「STOMP」のパロディをしながら、出演者の顔が書かれたサイコロを振って、出た目の人をただハリセンでぶん殴るという、今となったら絶対に通らないものがあって(笑)。それを飛鳥さんが「面白い」となりやったころ、結構ハネたんです。

番組開始当初の『めちゃイケ』って、視聴率がすぐには上がらなかったのですが、「STAMP」自体は話題になっていて。それで最初のスペシャルの時に、飛鳥さんが当時のシャ乱Qのマネージャーだった和田薫さんに頼んで出て貰ったと思うんですが、あの頃『ズルい女』含めてかなり売れているシャ乱Q全員に出てもらって、つんく♂さんは巨大ハリセンで叩かれていましたよね(笑)。

つんく♂:めっちゃやられたよ(笑)。付け鼻がバコーン!と飛んでいったもん。

鈴木:飛鳥さん、あの出演の件を、すごく感謝していましたよ。

つんく♂:飛鳥さんは、何かと僕と中居正広くんを……他にも何人かいると思うけど、片岡飛鳥のバラエティに協力してくれた「レギュラーメンバーじゃない」人として、よくラインナップしてくれるんだよね。なので、名前入りの記念の感謝状とか盾をもらったよ。

鈴木:つんく♂さんがハリセンで叩かれたスペシャル回の視聴率がよく、あそこから『めちゃイケ』はファミリー、特にちびっこがたくさん見てくれる番組になりましたからね。

つんく♂:あの頃は、言葉は悪いけれど、バラエティ畑ではSMAPがライバルで、音楽畑ではMr.Childrenがライバルで、僕らはその真ん中にいて。僕らの中での自己暗示に近い勝手なステイタスとして「SMAPは確かに売れているけれど、曲は自分で作らんやろ。ミスチルは良い曲は作るけれど、バラエティには出ないやろ。僕らはその両方をやってんねん!」という、一つの自負があった。

あの頃は「僕ら以外には誰もやれていないやろ」という想いが大事だったんだよね。「ゆっくりご飯食べる時間がなくっても、睡眠時間が短くても頑張れる!」って、一つのアイデンティティになってた。「俺らくらい働いてるやつおらんやろ!」みたいなね。

 「おさむちゃんたちと話す瞬間は貴重な時間やった」

つんく♂:おさむちゃんと本格的に一緒にやり始めたのが『つんくタウン』だったね。その頃のおさむちゃんはSMAPの仕事をして、めっちゃ忙しかったわけやん。その中で『つんくタウン』をやるというのは、どういう気持ちだった?

鈴木:まずつんく♂さんに対して、歳は近いと言えば近い、そして最近モーニング娘。でメチャクチャヒットを飛ばしているので、「どういう人なんだろう?」という興味がメチャクチャありました。

『つんくタウン』は、会議していく番組と聞いた時、どうなるんだろう?と思ったんです。正直、会議の“テイ”で、裏で大人や僕らが動いていくのかな?と思ったら、結構中身を細かく決めていて。その時、本当にクリエティブすることが大好きな方なんだなと思いましたね。

つんく♂:あの頃にYouTubeがあったら、結構バズっていたよね。

鈴木:そうですね。

つんく♂:テレビやったから放送出来る尺に制限があったけど、実際はたっぷり回してたし(録画してた)YouTubeなら細かく区切りつつも、全流ししてマニアックな番組に仕上げられたよね(笑)。

鈴木:うん。あの頃はつんく♂さんと2週に1回会っていましたよね。歳が近く、クリエイティビティがあって、ものすごくハネている人というのは、つんく♂さん以外いませんでした。

つんく♂:さんきゅ〜。あの頃の僕も一時期のおさむちゃんじゃないけれど、切っては投げて、切っては投げて、インプットもできないまま出し続けていた。そんな中で、2週に1度におさむちゃんと都築浩さん、(演出の)タカハタ秀太さんと会っては、「最近どう?」、「SMAPが今はこうで」と、ぺちゃくちゃ喋る時間が良いインプットの時間になったんだよね。あの番組はもっとやりたいことがあったと思うけれど、僕としてはすごく色々な吸収ができてすごく重要な時間やった。ありがたかった、みんな心強い味方やったなあ。

 『人にやさしく』制作で感じたドラマ現場の高い壁

つんく♂:バラエティから、ドラマの脚本を書き始めるようになったきっかけはなんだったの?



鈴木:『サタ☆スマ』で慎吾ママが大ヒットして、慎吾ママを主演にしたドラマを作ることになったんです。そのドラマ版のプロデューサーを務めた栗原美和子さんとは、『つんくタウン』で知り合っていて、その繋がりがきっかけで僕も参加することになり、2001年に1本目のドラマを作りました。

昔の『いじわるばあさん』のような、笑いもありながら、ちょっと感動する話になっていて。出演者も、いかりや長介さんに出てもらえたりと、自分の好きなものを詰め込めたんです。結果、そのドラマが視聴率20%を超えて、2作目も作ることになり、それも当たったんです。

その後、今はフジテレビの常務取締役になった大多亮さんと(マネージャーの)飯島さんと、「お疲れ様会」として食事に行って。そこで、大多さんに「おさむくん、連続ドラマやりたくない?」と言われたんです。「やりたいです!」と返事をしたら、隣の飯島さんに「慎吾、来年の1月は空いてないの?」と聞いて、「大丈夫です」となって。そうしたら大多さんが「ドラマデビューするなら月9だろ!」と言い始め、ハイ!とその場で決まっちゃって。2002年に『人にやさしく』というドラマを始めることになったんです。

つんく♂:それって、何歳の頃?

鈴木:29歳です。この『人にやさしく』では、慎吾ママのドラマに引き続き面倒見てくれる栗原さんに加えて、もう一人プロデューサーが入ることになって。結果、そのプロデューサーさんに歯が立たなかったんです。

つんく♂:その話、聞いたことあるよ。面白かったなあ。

鈴木:自分の中では“ノリ”で作っていくドラマを作りたかったんですけど、やっぱり、ちゃんと人間を描きたいということになって。僕はもう、自分の得意技を取られてしまって、何も動けない状態になってしまった(笑)。バラエティで培ってきたものを一度全部捨てろと言われたんです。

つんく♂:もう一人のプロデューサー側の気持ちもわかるわ。

鈴木:けど、それを取られると何もないんですよ(苦笑)。そうしたら、もう一人、脚本家のいずみ吉紘さんが入ってくださることになって、第1話は僕と吉紘さんの連名になっているんです。そこから吉紘さんにお世話になりながら書き方を学んでいくことになって。僕が考えた、主人公たち3人を「3ピース」と呼ぶという設定などは褒められましたが、ドラマ脚本家としては結果が出せなくて。しかも、同時期にTBSで『木更津キャッツアイ』が始まったんです。

つんく♂:それこそ、向こうはドラマの中で、サブカルのジャブを沢山打っていたよね(笑)。

鈴木:そうなんです。こっちはSMAPの香取慎吾くん、『木更津キャッツアイ』はV6の岡田准一くんと、嵐の櫻井翔くん。視聴率的にはダブルスコアでこっちの方が高いのですが、『木更津~』はメチャクチャ視聴者の評判が高く、業界からも面白い!と言われていて。何より脚本の宮藤官九郎さんが、明らかに楽しそうに書いているドラマというのが見ていてわかるんですよ。

つんく♂:それは悔しいなあ(笑)。

鈴木:それがコンプレックスになりましたね、チクショー!!って。僕はドラマを始めるまでにバラエティを10年以上やっていたのですが、『人にやさしく』を始めるにあたり、これは本腰を入れないと!と思い、『SMAP×SMAP』、『笑っていいとも!』、『めちゃイケ』以外はほぼお休みすることにしたんです。そうしたら、ちょっとハマりが悪いと思っていた番組は「お忙しいようなので」と、クビになったんです(笑)。

つんく♂:(笑)。

鈴木:やっぱクビになるよなあ!って(笑)。逆に、深く関わっていた『いきなり!黄金伝説。』のプロデューサーさんは、「半年頑張って来いよ!ギャラは毎週払うから、バラエティ代表として頑張ってこい!」と、快く送り出してくれた上に、休業期間中も給料を出してくれたんですよ。

つんく♂:それはスゴイなあ!

鈴木:「また戻ってこいよ!」とも言ってもらえて。こうして一時期仕事は減りましたが、減ったのはハマりが悪かった仕事だけだったんですよね。

つんく♂:結果、整理できて良かったんやね。

“別次元の芸人”大島美幸に鈴木おさむ、感動?「スゲー人が出てきたな!」

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