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若い頃からの盟友、奥田民生やLiSAらが所属するソニー・ミュージックアーティスツ社長と対談!

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」。今回の対談ゲストはソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)代表取締役執行役員社長の桂田大助さんです。つんく♂とは、1999年にデビューしたココナッツ娘。をともに担当し、古くから交流のある盟友です。桂田さんの音楽と仕事の歩み、つんく♂がデビュー前に苦悩したことなど語られてこなかったエピソードが飛び交います。対談後編はこちら。
<文 羽佐田瑶子 / 編集 小沢あや(ピース株式会社)/ 写真 ヤギシタヨシカツ

「つんく♂さんを取り合った」ココナッツ娘。が誕生した超多忙期の思い出

つんく♂:ご無沙汰しております。

桂田:ご無沙汰しております。あの、今回のゲストにどうして私を呼んでくれたんですか? すごく緊張してます。

つんく♂:SMAの社長になられてからお会いできていなかったので、あらためて音楽業界のこれからを語り合いたいと思ったんです! 昔から僕のことを知っていただいているし、レコーディング現場でも、ライブ現場でも密にご一緒してきたし、せっかくなら出世なさった方に褒めてもらいたいだけです(笑)。

桂田:(笑)。つんく♂さんは素晴らしい方です。

つんく♂:さっそくありがとうございます(笑)。

桂田:あの当時のことはよく覚えています。僕はレコード会社側の人間として、つんく♂さんプロデュースのココナッツ娘。を1999年から担当させてもらいましたけど、ぶっちゃけて話すと当時はダメもとでつんく♂さんにオファーしたんですよ。当時、モーニング娘。の人気が勢いに乗っていて、たくさんのプロジェクトをすでに抱えていらっしゃいました。なので「受けてもらえないだろう」と思いながら、でも「受けてもらいたい」という気持ちで、つんく♂さんのスタジオに伺いましたよね。

つんく♂:お台場にあったアップフロントのスタジオに来てくれましたよね。

桂田:そうですね。そこから、猛スピードでプロジェクトがスタートして、ものすごく濃い時間を一緒に過ごさせてもらいました。当時を振り返って思うのは、つんく♂さんはいつ寝ていたんですか? 正直、心配でした。

つんく♂:自分でも覚えていないんです。だいたい毎日、出前する店も内容も一緒だから、1日の区切りがはっきりしてなくて。

桂田:出前は中華でしたよね(笑)。今回お会いするにあたり、つんく♂さんプロデュースの作品を改めておさらいしたんですけど、ご一緒していた1999年から2000年まででも膨大すぎてびっくりしました。忙しい時は、1ヶ月に1枚シングルをリリースしているんですよ。しかも、プロデュース業だけじゃないですか。

つんく♂:お会いしたのは『LOVEマシーン』の後ですか?

桂田:前です。

つんく♂:なるほど。じゃあ、同時期にカントリー娘。も始まってますね。その前に、モーニング娘。以外だと、太陽とシスコムーン、タンポポもやってて。まあ、ぶっちゃけ忙しかったですね。

桂田:そうですよね。

つんく♂:でも、ココナッツ娘。はアップフロントとソニーミュージックが一緒になって進めたプロジェクトだったから、僕は新鮮でした。その頃ってアウトプットばかりしていて、僕の性格的に上手に緩急つけられないというか、ぜんぶ出し切ってしまう。なので、少しでも外部から刺激がほしいと思っていました。桂田さんが差し入れを持って来て、少し話すだけでもうれしいというか。砂漠で水を得る感じでしたね。

桂田:ありがとうございます。僕らも新しい取り組みだったのですごくいい刺激をもらっていました。各社つんく♂さんの取り合いみたいな状況でしたけど、すごくやさしくしてもらった印象があります。

つんく♂:それは桂田さんの人間性のおかげですよ。僕が忙しそうにしていても嫌な顔せず、じっと待っててくれたし。当時、僕もピリピリしてたと思うので、気を遣わせていたんじゃないかなと思います。

桂田:いやいや、そんなことなかったですよ。でも、あの時の打ち合わせの数は半端なかったですよね。いろんなプロジェクトを5つくらい、同時進行されていた記憶があります。

つんく♂:しかも、プロデュース業だけじゃなかったから大変やったと思う。テレビ東京の『ASAYAN』にも時間を取られるし、自分のシャ乱Qの活動もあるし。あの頃をもう一度やれって言われても、もう無理かな。

桂田:やめた方がいいと思います(笑)。

つんく♂:(笑)。でも、時代の中で小室さんにも追いつきたいし、ミスチルにも負けたくないし、SMAPみたいなメジャーな位置にも行きたいしっていう思いが渦巻いてて、超欲張りでした。

桂田:そういえば、シャ乱Qがデビュー間もない頃、笑福亭鶴瓶さんが司会をされていた歌番組『歌謡びんびんハウス』に出られていましたよね。あの番組はいわゆるアイドルや演歌歌手が出演する枠だったのに、ロックバンドが出ていることに衝撃を覚えた記憶があります。

つんく♂:まあ、売れてない僕らになんの拒否権もなかったのは事実なので、入ったスケジュールをこなすだけではあったけど。正直なところを話すと、あの番組はクイズコーナーがあったでしょ?

桂田:ありましたね。

つんく♂:あそこは景品がよかったんですよね。売れない頃はあれで少しでも食いつなげられる。

桂田:なるほど(笑)。シャ乱Qは、1995年頃にメジャーな立ち位置になりましたね。そして、モーニング娘。が1997年にデビューして。

つんく♂:はい。シャ乱Qとしても売れて、プロデューサーとしてもチャートインさせられるようにはなってましたが、なにかのジャンルで突き抜けられていなかったから、もがいてたんだと思います。そんな中でココナッツ娘。はソニーさんが間に入ってくれてたので、音楽的にさらに自由につくれたのが面白かったですね。英語で楽曲をつくる楽しさも知ったし。

桂田:そう言っていただけるとうれしいです。

つんく♂:でも、他のハロー!プロジェクトたちとは違う意味で、ココナッツ娘。も忙しかったでしょう?

桂田:そうですね。日本にいられる期間が限られていたので、来日中は毎日のように仕事が入っていました。だから、一緒にご飯を食べに行ったこともないです。

アシスタントから社長になるまで 桂田さんの音楽遍歴と仕事の歩み

つんく♂:桂田さんが業界に入るまでもちょっと教えてください。生まれはどこですか?

桂田:熊本県です。

つんく♂:熊本で育ったってことは、テレビやラジオを通じて音楽や芸能界に興味を持ったんですか?

桂田:「夜のヒットスタジオ」が好きでしたね。

つんく♂:じゃあ、どちらかと言えば邦楽をよく聴いてましたか?どんな音楽を聴いていた世代なんだろう。

桂田:邦楽をよく聴いてました。高校二年生くらいで「洋楽に詳しい方がかっこいいかな」と思って、洋楽を聴くようになりました(笑)。

つんく♂:そういうのありますね(笑)。今おいくつですか?

桂田:59歳です。

つんく♂:ということは、時代的にはツッパリ全盛期ですね。ラッツ&スターとかYMOが主流で、ちょうどサザンがデビューしたあたりですかね。

桂田:そうですね。あとは松田聖子さんが大人気でした。

つんく♂:桂田さんは?

桂田:僕はYMOが好きでしたね。

つんく♂:そんな青春時代を過ごして、東京の大学を卒業して、どうしてソニーミュージックに入ろうと思ったんですか? バンドをしてたわけじゃないですよね?

桂田:バンドは、まったくやってないです。大袈裟な言い方をすると音楽に関係なく「流行を創ってみたい」という気持ちがありました。もともと映画が好きだったんですね。当時『市民ケーン』のビデオソフトをソニー・ピクチャーズが出していて、そこからソニーミュージックという会社を知ったんです。

つんく♂:就職活動はどのあたりを攻めたんですか?

桂田:僕はアシスタントで旧CBS・ソニー(現在、ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入って、そこから社員になったんですよ。

つんく♂:じゃあ、ソニーミュージック一本なんですね。入ってからは何をしてたんですか?

桂田:演歌を担当してました。当時は宣伝のお手伝いをしていて、主にラジオ局や有線をまわっていました。どれくらいかかると、どれくらい売れるっていうのが反応としてわかる時代だったので、今では考えられないくらい足で稼いでいました。社員になってから、楽曲コンセプトや宣伝戦略を考えるアーティスト担当になりました。

つんく♂:他の会社への迷いはなかったんですか?洋楽が好きなら、もっと別のレーベルも見てみようかな、とか。

桂田:うーん、おもしろかったんです。演歌の世界は奥深くて。

つんく♂:手応えを感じるからですかね、有線で流れたりすると目に見えて反応があるからとか。

桂田:というより、ソニーミュージックの中でも小規模ジャンルだったんですよね。当時は百貨店のように、いろんな引き出しを持つ方針でアーティストを抱えていて、中でもJ-POPが主流でした。でも、伍代夏子さんや藤あや子さんなど素晴らしい方々が所属していて、打ち出し方を変えると明らかに手応えを感じることがあったんです。そういうのが興味深かったんだと思います。

つんく♂:なるほど。いまは知ってて当たり前の人たちですけど、当時はフレッシュだったわけですもんね。実力のある彼女たちを売るのが楽しかった。

桂田:どう売ろうか、戦略的に考えるのが好きだったんだと思います。

つんく♂:その頃からソニーミュージックの看板はバンドだったんですか?

桂田:そうですね。米米クラブを筆頭に。第二次バンドブームと呼ばれる時代にレベッカやPRINCESS PRINCESSが人気でした。エピック(ソニーミュージックの社内レーベルの一つ)からはBARBEE BOYSや佐野元春が人気でした。

つんく♂:エピックブームの時ですね。CBSとエピックはカラーが全然違いましたよね。

桂田:正直、エピックが羨ましかったです。時代を引っ張ってる感じで。

つんく♂:売り方も違いましたよね。当時はラジオ局でどれだけかかったかがヒットにつながる、みたいな感じでしたけど、エピックはMTVとか全然別角度から売り出してる感じがありました。

桂田:そうですね。

「誰にも褒めてもらえなかった」つんく♂が語る、デビューまでの苦悩

つんく♂:これは僕もnoteでよく書きますけど、本人の才能に関係なく「時代が天才を作ってしまう」、「マスコミの評価で天才に仕立て上げられてしまう」ことってよくあると思うんですよ。

桂田:そうですね。

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