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アマチュアこそ、主導権を握れる素人になろう。

マガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」のご愛読、ありがとうございます。今回はつんく♂が自身のアマチュアバンド時代を振り返っての総括です。「みんなのつんく♂エンタメTOWN」で連載していた内容を、特別編集して掲載いたします。
<文 つんく♂ / 編集 小沢あや(ピース) / イラスト みずしな孝之

モーニング娘。の結成時のようなドキュメント番組も、今のようなSNSも無い時代。アマチュアバンドの宣伝力のすべては「口コミ」でした。

前回書いたように、1990年代初頭、僕たちはアマチュア5バンドで徒党を組み、イベントや城天を始めるようになりました。

どのバンドも無料ライブ終了後に観客との雑談タイムをし始めると、そのうち有料ライブのチケット販売のきっかけが出来るようになりました。すると、どのバンドの有料ライブも動員が50人をさくっと超え、ワンマンライブでも動員が100人を超え始めました。

そうなると、最初に離れて行ったちょっと音楽の感度が高い私立系の女子中高生も戻ってきます。「私、客が居なかった時から応援してたし」的な顔で友達を連れてきてくれるんです。

僕らは団体の中でもある程度主導権を握ってたので、城天も絶対に休むことなくやり続けました。雨でも必ず現場に行くのです。毎週のライブが楽しみの子たちが、雨でも現場を覗きに来るので、いつもと違う雰囲気で語ったりする時間になっていました。

結果的には3年足らずで、単独ライブで300枚のチケットを売るところまで動員が伸びました。さらに、城天の方には毎週、のべ何百人〜千人(やじうま含めて)群がるようになったのです。事実上、「大阪動員力NO1」と言われるようになりました。

アマチュアでここまで来ると、最初に話してたように、ありがたいことにライブハウスとの関係も主導権がこっち側になって来るんです。

ライブハウスは僕らの好きな日に好きなようにブッキングしてくれますし、ライブハウスが毎月買っている雑誌の広告枠に、僕らの写真を使って告知してくれるようになりました。さらには、他の有名なアマチュアバンドや東京で人気のデビューしたてのバンド対バンイベントや、大阪の大きなイベントへの出演権などなど、動員の無い頃はどう叩いても進まなかった話はどんどん進んで行きます。

ちなみに、あんなにあれこれ聞かれたバンドコンセプトの話しなんてしてくるライブハウスは皆無となりました(笑)。

と、ここまでの話はこれまでにもインタビューや僕の書いた著書「一番になる人」などにもちょいちょい書いてたことなので、もっと詳しくって人はそのあたりを読んでください。今回、このコラムで言いたかったのは「この流れ、まったく今の時代も同じようになってないか?」って話です。

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