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番組では伝えきれなかった~僕があれほど嫉妬したMr.Children~

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」のご購読、ありがとうございます。今回は「嫉妬をしてしまう存在」をテーマにお届けします。
(文 つんく♂ / 編集 小沢あや / イラスト みずしな孝之

この夏、「日曜日の初耳学」(MBS毎日放送)という林修先生がMCの番組に出演させていただきました。

番組内で「僕が嫉妬する天才」として名前をあげたのが、Mr.Childrenです。

おそらく今の40〜50代の方は、Mr.Childrenの曲とともに青春を送った方が多いのではないでしょうか。わかります。同世代でバンドをやってた僕らも、認めざるを得ない声質と、作曲力への才能に嫉妬したのですから。

1992年にデビューした、Mr.Childrenとシャ乱Q。

同期デビューですが、最初から雑誌などの取材の量も、いろんな音楽評論家が書いているコラムの内容も全然違いました。Mr.Childrenの方があっと言う間に売れて行って、約1年後には100万枚売れて、ドラマの主題歌とかCMソングとか決まって、「くやしー!」と思っていたのは事実です。

僕もまだまだ若かったし、負けを認めたくありませんでした。当時は、「デビューが数カ月遅いから仕方がない」とも思いつつ、「サザンと同じプロデューサーはズルいよな〜」とか、「アルバムにも(寺岡)呼人くんと一緒に作曲してる曲とかもあって、話題作りもうまいな〜」とか、そんなことばっかり考えていました。

ただ、「この差は縮まらんな〜」って思いましたね。そのうち、Mr.Childrenは桑田佳祐さんとデュエットしたり、シングルだけでなく、アルバムもミリオンヒットしたり。はぁ〜。ミスチル、すごかったです。

とかなんとか言いながらも、僕らシャ乱Qも「シングルベッド」のヒットを皮切りに、ミリオンを連発。続いて出したアルバムもミリオンヒット。テレビ露出も多かったので、ものすごい勢いで有名に。「大阪でイキがってただけのバンドが、ありがたいことにたくさんのファンや関係者に支えられ、ここまでよく這い上がったな」と当時から実感しておりました。

僕らも、相当な結果を出しましたよ。ただね、それでも、Mr.Childrenとの差は縮まったような実感はなかったなぁ……。

2000年頃、それまでツアーをガンガンやってきたミスチルが、そこそこの長期間、ライブやリリースのない期間があったんです。その頃、僕はちょうど「モーニング娘。」などのプロデュースを始め、バンドとは違うところでノリまくってる頃でした。シャ乱Qでの曲を含めて、年間100曲くらいは作ったかな?

毎週、毎週オリコンにいろんなアーティストのシングル曲をランクインさせて、レコード会社とともに「やった! 1位だ」「3週連続だ!」とか「ミリオン行った!」とか、毎週のようにワーワー盛り上がっていました。

その時に出したモーニング娘。のアルバムが100万枚に到達して、自分の中でも「よし! やった。よく頑張った!」と思ってたんです。毎週シングル作って、アルバム作って、しかもちゃんとランキング入りして、1位もとって、100万枚売って。「これはちょっと世間的にも誰も真似出来ないでしょ!」ってね。とにかく忙しかったです。

作ってレコーディングして、作ってレコーディングして、自分らのライブもやって、ハロプロのライブにも立ち会って……まあ、よく働いてたと思います。

僕もテレビにもたくさん出ていたので、街のおばちゃんに「頑張ってね! 応援してるよ〜」とか、小学生にも「毎週見ています!モーニング娘。になりたいです!」と言われるほどでした。

正直、充実感もあったし、数字的にもかなりの実績も残せていたので、Mr.Childrenやそのほかのアーティストと自分を比較して悔しいとかなんとか考えてる暇もなかったのも事実です。

そんな時期に、渋谷のレコーディングスタジオのロビーで偶然、ミスチルとばったり会ったんです。しばらくメディアに出ていなかった彼らもそろそろ活動開始という頃だったのでしょう。おそらく海外行ったり、国内でもひっそり暮らしたり、サッカーやったりしてたんだとは思いますが、当時はネットで情報が得られるような時代でもありません。実際どうだったのか、わからないままでの再会です。

「久しぶりじゃん! 元気?」などなど、他愛もない会話で盛り上がったんです。そんな時、ドラムの鈴木ジェン君に「ところで、最近はどうしてるの?」って聞かれました。

その時に「ちゃうちゃう! 最近どうしてるかわからんのは、あんたらやん!」って思ったんです。「海外にいたかなんかわからんけど、音信不通やったやん!」って。

久しぶりの再会で「また飲みに行こうね」ってなんて立ち話して、その場は終えたんですが。それからしばらくして、ミスチルがベストアルバムを出したんです。それが一瞬で300万枚売れたんですよ。

一方、僕は毎週シングル作って、テレビにも出まくって、女の子のプロデュースで神経すり潰して忙しくして、やっとの思いで100万枚。十分よかったすごかった。すごい実績でしたよ。

でも、彼らはベスト盤で、特に新しい作品を作ったわけでもないし、オフ取って休んでたのに。ふら〜っと日本に帰ってきて(きっとふら〜っとじゃないし、忙しくしてたとは思うけど! 当時の僕の勝手な気持ちですのでお許しを!)、しれ〜っと出したアルバムが、300万枚!!!

正直、「神様そりゃないぜ〜」って思いましたね(笑)。「やっぱ桜井君には勝てないな」って。忘れてた感覚が蘇りました。

アマチュア時代にもプロになってからも感じた差、というんですかね。それをプロデューサーになって、また実感するなんて……。「こうなりゃもっともっと数作って、積み上げて行くしかない。じゃないと彼らには勝てない! 頑張れ俺!」って、心から思ったのです。

さて。番組としては桜井くんのことを「天才」にくくる流れでしたが、僕は、実はそうじゃないと話しました。

というのも僕は「天才」に対して悔しさをあまり感じません。なぜなら「天才」とは比較しようもないでしょ!? だって「天才」なんだし。

でも、桜井くんを見ていると、単なる「天才」とは思わないんです。僕ら凡人とはかけ離れた違う世界にいる「天才」ではなく、どこか庶民的な雰囲気と、親近感がある。「もしかしたら、彼のような発想や作曲、俺にも出来るんちゃうかなぁ?」って思わせるような距離感。手を伸ばしたら触れそうな感じ。わかるかな?

大事なのは、そう思わせることなんですよね。全ての人が、それに近い感覚で彼をみてたんじゃないかな。だって、全然関係ない遠い存在の天才のことなんて、いつまでも気にならなくないすか? 「すごいのはわかるけど自分との共通点もないし」ってなると興味ないでしょ?

ポップスとしての良さって、この親近感なんだと思うんです。本当はどう逆さまにしても手が届かない場所にいるのに、手を伸ばしたら届きそうな感じ。「なんか俺にも出来そう」とか「クラスにいたよね、あのタイプ」感。修学旅行の時はとりあえず同じグループに居たい感。それがMr.Childrenの親しみやすさ、桜井和寿のクラスメイト感なんだろうなって。

だから決して「天才」というカテゴリーでくくっちゃったらいけない。そう思ったわけです。

お互いもう50歳を超えたおっさんですが、まだまだ青春ど真ん中ということで、切磋琢磨させていきましょう!

な〜んて、僕がこんなことを言ってると、またどでかい何かを打ち立てる。それがMr.Children。また、僕が「ひえ〜!」って降参したくなるようなことをしでかす前兆だと思います。

さて、ここからはマガジン読者限定で、もう少し思い出をさせてください。

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