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あの頃の音楽シーンで、ウルフルズとシャ乱Qが売れた理由。

マガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」のご愛読、ありがとうございます。先日『歌う ~ずっと好きだった曲~』(BSフジ)でウルフルズのトータス松本さんとスペシャル対談をしたつんく♂。昔の思い出を振り返りながら、盟友への思いを綴ります。
<文 つんく♂ / 編集 小沢あや(ピース) / イラスト みずしな孝之

番組としてBSフジテレビなんで、メインの地上波でない分、ハデハデオンエアー! ではなかったかもしれませんがトータス松本との対談番組が放送されました。その分、深掘り出来たかなと。
 
番組内でも話した通り、シャ乱Qとウルフルズは1988年〜91年あたりまで、大阪でアマチュア時代をお互いに過ごしていたわけですが、僕は彼らの存在を知りませんでした。大阪でも100人くらい動員するバンドはたいていチェックしてたつもりでしたが、きっと当時の彼らと僕らが存在するシーンが違ったんでしょうね。
 
SNSやWEBサイトのない時代だったので、たいていの音楽情報(プロアマ問わず)はファンを通じて入ってきました。チクリネタや噂話や耳寄り情報など、ファンが耳打ちしてくれるわけです。

「最近⚪️⚪️というバンドが急にファンを増やしてる」とか「⚪️⚪️のライブハウスで揉めて出入り禁止になったよ」「解散するらしいで〜」などなど入ってくるんですが、そんな中にウルフルズ情報がなかったので、ファンもクロスしてない状況だったんでしょうね。今思えば、実に面白い現象です。
 
さて、そこからお互いが92年にデビューして、同じ関西出身のバンドとして、彼らの情報が入ってくるようになりました。「お前らと同じようなコミカル系バンドでウルフルズってのがおるけど、仲良かったの?」とか、「なかなかおもろいバンドらしいで!」とか。
 
当時はすでにデビューしてるバンドのなかで、おもしろ(コミカル?)系のバンドの代表としては米米CLUBがいて、その後には何やら「おもろ賢そう」バンドとしてモダンチョキチョキズが、有名ではありました。
 
大阪出身バンドの俺らは、よく「大阪出身なら面白いんでしょ?」とか「コントとかもしないの?」とかよく言われました。
 
なので、それを逆に意識して、コントというか、ネタみたいなのをライブに投入したり、MCを長くしたりして、「余裕あるで俺ら」みたいな顔をしつつ、実はバンドコンセントがまったく定まっていないという、なんともへなちょこな時期を迷走した記憶があります。
 
で、同じ頃デビュー組として、確かに先んじて売れてたのは、ミスチル、スピッツあたりかなぁ……。
 
事務所やレコード会社の方たちによく「あんな風な曲かけないの?」とか「お前らの作りたい曲には何かポリシーみたいなものがないんだよ」なんて言われたものです。
 
そりゃそうです。アマチュア時代からファンの動員ばっかり気にしてた僕らなので、ジャンルとかポリシーとか、そういうのを本当に考えたことがなかったわけです。
 
そう思うと、ウルフルズはまだ売れてなかったものの、正直一本筋が通ってて、何かインテリジェンスを感じました。

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