吉田豪とつんく♂ 、モーニング娘。新曲からハローマゲドンまで語る。
吉田豪とシャ乱Qの意外なつながり
つんく♂:改めて聞くけど、「吉田豪」って、肩書き的には何を名乗ってるの?
吉田:「プロインタビュアー」って名乗ってますけど、インタビューを生業にしつつ、イベントの司会業も増えてきましたね。
つんく♂:ちょくちょく仕事を一緒するようになって、俺は断片的にどんな人かわかってきたけど。どんな人なのかよくわかってない読者がいる前提で、その辺を教えてもらいたいんやけど。年齢的には、俺の2歳下やもんな?
吉田:そうですね。70年生まれです。
つんく♂:なるほど、弟と同じ歳やわ。歳がちょっと違うだけで結構好きやったものが違う世代よね。俺のちょっと下の世代は、キャプテン翼とか尾崎豊がめっちゃ好きなイメージがある。「尾崎豊」を通ったか通ってないかで、音楽の感受性も違う気もするんよね。
吉田:それって何が違うんですかね?
つんく♂:尾崎世代のみんなは自分らの校歌やテーマ曲みたいな感じで、全員が空(そら)で歌える感じ? 誰かが「十七のしゃがれたブルースを聞きながら」って歌いだしたら、その後みんなが合唱しだすイメージ。俺らの学年のやつらは「え? 何? 何?」ってなった記憶がある。ある種羨ましさというか、そういう意味の俺の世代の「みんなの歌」はないなって思った。
吉田:ボクは尾崎豊は通ってますけど、キャプテン翼にはハマれなくて、その下の世代で流行ったキン肉マンにもハマれない、『リングにかけろ』世代でしたね。
つんく♂:ああ、そうやね。俺らはアラレちゃんやねんけど。ところで、吉田豪さんはどんな少年やった?
吉田:インドアというか、ゴリゴリの漫画、アニメ、テレビ好きでしたね。
つんく♂:出身はどこなんやったっけ?
吉田:江古田生まれの大泉育ちで、完全なる東京っ子ですね。
つんく♂:じゃあ基本的には、ドリフがいて、欽ちゃんがいて、いわゆる歌謡曲が流行ってた時代やね。まあ同世代の大阪と東京の差だね。当時観てたアニメって?
吉田:ガンダムとかヤマトが大流行していたので、劇場版を観て、どっぷりアニメにハマっていったんですよ。まあ、おかしくなっていましたね(笑)。で、このままだと不良に舐められるしモテないと思って、途中で不良やパンクの勉強を始めて方向が変わっていきました。中学、高校くらいですかね。
つんく♂:どんな学校やったん? お坊ちゃん学校?
吉田:高校はまあまあ偏差値は高かった私立ですけど、ビー・バップ・ハイスクールが流行っていた世代なので、不良は多かったですよ。そんな中で明らかに浮いていました。
つんく♂:じゃあ、もうおニャン子クラブが流行っていて、とんねるずが大スターや。
吉田:そうですね。だから、夕方5時に始まる『夕やけニャンニャン』に間に合うために、どれだけ頑張っていたかって話ですよね。部活も入らないし、友達の誘いも断るようになり。不良の友達にゲームセンターに誘われるのとか嫌でしょうがなかったです。
つんく♂:リアルな異性はどうやったの?
吉田:ある時期まで全然でしたよ。だから、趣味に暴走した感じですね。
つんく♂:バレンタインデーを意識した記憶は?
吉田:意識はしてましたけど、そういうものにあこがれと憎しみを抱えて生きてきたタイプでしたね(笑)。
つんく♂:じゃあ、バンドマンは敵やったん?
吉田:いや、ボクもバンドをやってましたし、そういうものへの憧れは強かったですよ。コピーバンドでベースをやっていた程度なんですけど、専門学校ではアニソンのパンクカバーで、オタク批判や学校批判を替え歌でやってましたね。
つんく♂:いいね(笑)。そのあとは?
吉田:専門学校を出て、職につかずプラプラして、出版関連の仕事に入っていった感じです。
つんく♂:リリー(フランキー)さんと出会ったのは、いつ頃?
吉田:仕事を始めてすぐですね。まだリリーさんも20代の時に、ボクがエロ本の仕事でリリーさんにコラムを頼んだんですよね。ボクらがペーペーでも差をつけないで接してくれる人なので、仲良くなって。一緒にDJイベントをやることになったりして。
その後、サムライっていう格闘技専門チャンネルができる時に、「構成作家をやらないか」って話があったんですね。でも、やったことがなかったのでリリーさんに相談したら、「俺がやってるラジオを手伝ってみなよ」と言ってくれて、それが「シャ乱Qしゅうのマムシラジオ」だったんですよ。
つんく♂:お〜、なるほど。
吉田:その時、1、2カ月ほどラジオを手伝っていて、発売前の『シャ乱Qシングルベスト10おまけつき』をもらったり、しゅうさんの自宅に遊びに行かせてもらったりしましたよ。しゅうさんとたいせいさんとリリーさんと一緒に、クラブに行ったりしましたね。
つんく♂:へ〜そこはその時点で繋がってるんやね〜。あの頃よくリリーさんにいい意味で、「にいにい(つんく♂のこと)はこういうとこに来なくていいよ〜」って言われてたな。「つんく♂がそういういかがわしそうなところで楽しんでたらバンドが普通に見える」って意味なんやけど。なので、俺以外で遊びに行ってた。俺は仕事をしてることも多かったけど、別に変とも思ってなかったな(笑)。
吉田:ちょっと聞きづらいんですけど。しゅうさんの件があって、「残されたバンドメンバーを食べさせていかなければ」的な思いはありました?
つんく♂:う〜ん、ぶっちゃけそれはなかったかな。それはそれでプレッシャーになるやん? お互いに。ただまあ、バンドを休んでられない気持ちはあったし、モーニング娘。も始まってたから落ち着いてられなかったかな。むしろ、「シャ乱Qが休むんやったら、モーニング娘。をやれるな」っていうのもあったかな。
吉田:まことさんがハロプロのコンサートの司会をやるようになったのは、そういう配慮だったのかなって思ってました。
つんく♂:それはちょっとあると思うよ。やっぱり頼みやすいしな。
吉田:まことさんで面白いのは、当時は「まことさん大丈夫かな?」って思われて、正直あまり評判も良くなかったのが、今やファンやメンバーからものすごい信頼を勝ち得て、好評になっているのがいいですよね。
つんく♂:上手さは求めてなかったからね。まことは、メンバーの良さをちゃんと伝えてくれる人やん。「この間メンバーと食事行ってさ」みたいなことを前面に出してくるのは、ファンは嫌やん。まことはそういうのが絶対ないからね。
吉田:そこもやっぱり、つんく♂さんのファンに対する配慮なんですね。
つんく♂:まこともメンバーに近寄ろうとするタイプじゃないし、不器用やから、一人の子と仲良くなるとその子とばっかり喋っちゃうのを気にしてたんやろうな。「みんなと均等に仲良くするためには、誰とも近づかない」というのがまことの結論やったから、それが結果的に良かったんやろうな。
シャ乱Qが90年前後のバンドブームの影響を受けなかった理由
つんく♂:いろんなバンドともつながってるけど、それはどんなきっかけなの?
吉田:高校時代から、パンクのミニコミをやってたんですよね。それがベースにあって、就職するときもパンク雑誌を受けていたりで、周りにバンドマンも多くて、なんとなく音楽関係の知り合いが多くなったんですよね。
つんく♂:俺も日本のバンドブームでいろんな音楽を聴いたけど、レピッシュがいなかったらシャ乱Qは誕生しなかったと思うんよな。
吉田:へえー、意外な話!
つんく♂:なんかわからんけど、BOφWYも、X-JAPANもかっこよかったけど、レピッシュの凄さは半端じゃなくて、「こんなバンドが日本にあるんだ!」って、めっちゃ刺さったね。恋愛の歌を上手に歌えるバンドじゃなかったから大ヒットはなかったけど、こういう音楽が文化として残らないとダメだなって思った。
吉田:つんく♂さんのバンドブームの影響って、あんまり聞かないから新鮮ですね。
つんく♂:あとニューロティカとか、凄かったね。
吉田:それも意外! どこかで笑いの要素があるといいんですかね。
つんく♂:レピッシュって笑えたっけ?
吉田:ポコチンロックというふざけたジャンルを作ろうとしたり、テレビとか出てもみんな意外と喋れたんですよね。音楽は真面目でカッコよかったですけど。
つんく♂:へ〜、ニューロティカもピエロの格好してるけど、歌詞や内容はジュンスカより熱い「青春ソング」って思ってたし、「お笑い」という受け止め方は一切してなかったかも。きっとレピッシュにしても大阪人は「笑い」と思ってなくて。東京的な笑いなのかもな。米米CLUBとかもそう。当時「おもしろいよ」って紹介されたけど、そんな風には思わなくて。ザ・エンタメって感じに受け取った。
吉田:シャ乱Qも、 90年前後のバンドブームや、東京で言うところのホコ天ブーム的な流れで出てきたのに、ブーム終焉の影響をほとんど受けずに済んだ理由はどうしてなんだろうと思っていて。バンドブームが93年くらいに一気に終わったじゃないですか。そういう流れの余波をシャ乱Qは一切受けなかったですよね?
つんく♂:俺たちは大阪にいたから、よかったのかもしれないな。イカ天は大阪のテレビでやってなかったし、ホコ天にも行けないから、世の中の流行を実感してなかったのかもね。だから真似の仕方もわからないし、流行のピークの実感もない。雑誌だけが情報源やから、バンドギャルが彼らを追いかけてる“らしい”と聞いてても、リアリティがなかったんよな。
吉田:大阪城公園の城天は、原宿のホコ天とは別世界だったんですかね。
つんく♂:全然違ったと思う。毎週、自分らで大阪城公園のルールの中で少しずつ基礎を固めてくのに必死で。そのままバンドブームを気にしないままやってたら、いつの間にかブームが去ってたみたいな。自分たちは芸があるわけじゃないから、手探り状態で試行錯誤しながら音楽を作ってた。
プロの世界に入っても同世代のミスチルとかスピッツ、ウルフルズと、生き残り合戦をしてたと思うんよ。でも、俺らは全然売れなくてね。当時はタイアップブームで実在のあんまり感じないバンド「っぽい」バンド音楽ばっかりなんで売れるんやろ!? って思ってたな(笑)。悔しさはめっちゃあった。
吉田:「っぽい」ものに対するカウンターでもあったんですね。モーニング娘。にしても、アイドル的なくくりかもしれないけれど、もっと濃度の濃いものを作ってやるって。
つんく♂:うん。俺たちは「上・京・物・語」あたりは、どっちに行けばいいかすっごい迷ってた。ミスチルは一周くらい先に行ってて、他の人たちもいい曲を作ってたからね。なのに俺らの6枚目のシングル曲『シングルベッド』は発売直後からほんまに売れなくなって。正直「やってもうたな」って思った。
吉田:有線放送きっかけで、時間差で売れたんですよね。
つんく♂:結果的には有線をはじめ、ラジオのリクエストやカラオケもランクインして。じわじわ、1年以上かけて100万枚売れたのは奇跡って思う。発売当初は当時のマネージャーの和田さんも「バラードはまだ早かったな〜」って、マジで落ち込んでたし(笑)。その後、不思議とじりじり売れてくれたから、耐えられたけどね。あの実感がなかったらモーニング娘。にはたどり着かないし、ロックへの自信に繋がらなかったと思う。
吉田:結果、それでうまいこと転がっていったわけですもんね。
つんく♂:そうやな。そのころもリリーさんには、ライブの構成もやってもらったりアルバムジャケットのデザインをしてもらったり。
吉田豪が振り返る、「アイドル」のピーク
つんく♂:話変わるけど、吉田豪自身のアイドルヲタのピークって、どのあたりなの?
吉田:ボク自身はずっとアイドルを聴き続けてはいるんですけど、ヲタだったことはたぶんないんですよ。ただ、ずっと見続けている側からすると、波はあるけれど、ずっとおもしろいイメージがありますね。70年代、80年代、90年代、2000年代から現在まで当たり外れもありますけど、ちゃんと文化として残り続けていて、今も面白いなって思います。
つんく♂:最近はどうなの?
吉田:最近もおもしろいですよ。明らかにピークアウトしてますけど。
つんく♂:吉田さんはどういうのが好きなの?
吉田:音楽へのこだわりがないグループは、ピンと来ないですね。「まず音楽」って思ってます。今はどんなジャンルの音楽でもあり、っていう時代になったのでおもしろいことをしている人は常にいますし、事務所の縛りがなくなってセルフプロデュースがどんどん増えてます。かつての「バンドブーム」に近いなって数年前から思ってましたけど、よりバンド化してますよね。活動拠点もロフトなどバンドが立っていたステージだったり、曲もバンドをやっている人に頼んだり、セルフで活動をしていたり。ほぼ、あの頃のバンドですよ。
つんく♂:モーニング娘。の後にAKB48が出てきた頃のアイドル界隈っていうのは、正直なところどう思ってたの?
吉田:正直言っちゃうと音楽ありきの人間なので、現象としてはおもしろいけれど音楽的に惹かれる部分はあんまりなかったですね。ただ、AKBのおかげでジャンルは広がってアイドルがおもしろくなったと思うので感謝はしつつ。
つんく♂:俺は結構ももクロは見てたんだけど、ももクロはどうやったの?
吉田:それは、完全にハマりましたよ。音楽的におもしろかったのは間違いないので、それまで保っていた一線を超えるぐらいになりました。それぐらいから、世間で「アイドルの人」と認識されるようになりましたね。
つんく♂:他のアイドルも? ベビメタとか、Perfumeとか。
吉田:ベビメタも当然出てきたときから面白いと思いましたし、Perfumeは初期の頃から好きでしたね。ブレイク前にハマって取材もしてたんですけど、曲も本人たちの人間性も素晴らしいんですよね。本人たちが、あの曲をあんまりやりたくなかった感じも含めておもしろい(笑)。
「本当はバラードが歌いたい」と言っていて、でも「このまま行けば絶対にどうにかなるから、できればバラードじゃなくてこのままの方向で頑張って下さい」ってすごく説得したのを覚えていますね。もともと歌もダンスもできる人たちだから、自分たちの歌が加工されることに多少の抵抗があったんでしょうね。ましてや、それで売れてない状態だったから。
つんく♂:モーニング娘。に鞘師とか9、10期が入ってきたタイミングっていうのはどう見てくれてたの?世間的にはすごく変わったって言われてた時期だけど。
吉田:大好きですよ。ボク、ちょっと変わってて、あの頃の一番大好きな曲って『ピョコピョコウルトラ』なんですよ。これは狂ってるって思いながら(笑)。
つんく♂:いいね。俺も好きな曲やで。自分でもようあんな曲作れたなって思うもん。音楽的にも攻めれたし、あそこから『One・Two・Three』につながっていくんやけど。
吉田:全然違うようでいて、あれが今のモーニング娘。につながるクールな感じになる発端でもあったんですか。
つんく♂:サウンドは変えて、ビジュアルは可愛いままにしてたら、鼻が効く人が「え、なにこの音楽?」って寄ってきてくれて。それで、音楽はちゃんと聴いてもらえるんやなって思たんよな。その前の『恋愛ハンター』前後とかもいろいろ撒いてたら反応があったから、『One・Two・Three』で完全に変われたんよね。それもこれも、『ピョコピョコ ウルトラ』のおかげ。
吉田:流れが大きく変わったのはわかってましたけど、それが「ピョコトラのおかげ」っていうのは初耳ですよ(笑)。
つんく♂:あそこで探れてなかったら、勇気出てなかったと思う。
吉田:音楽的には攻めつつもちゃんと可愛い、っていうのが最高ですよね。
つんく♂:高橋愛とか新垣里沙とか田中れいなとか道重さゆみとか、メンバーたちがちょうど熟してきてた時期だからよかったよね。ちなみに、男性アイドル界隈はどうなの?
吉田:今はほとんど聴いてないですね。K-POP界隈もそうですけど、追うものが多すぎて追いつかない。
つんく♂:振り返って刺激を受けた男性アイドルは?
吉田:たのきんグッズを集めてたりするし、沖田浩之とか木村一八とか坂上忍とか80年代の不良っぽい男性アイドルは全部好きなんですけど、90年くらいからほとんど聴いてないですね。日本のロックシーンもそんなにで、ものすごく偏った音楽しか聴かなくなっちゃいましたね。
つんく♂が語る、佐藤優樹の卒業「これからが楽しみな人」
つんく♂:モーニングの新曲『Teenage Solution』はどうやった?
吉田:おもしろかったですよ。ちょっと聞きたかったのは歌詞のことで、10代の子をテーマにするのって昔と変わってきてると思うんですよ。表現のことをどれくらい気にしてますか? 時代の変化で、「10代の女の子にこういうこと歌わせるのはどうなのか」って声が出たりしますけど、つんく♂さんはあんまり批判されているところを見たことがなくて、どうしてうまくできてるのか不思議だったんです。年上の恋愛とか、教師との恋愛とか。
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