OWV、デビューまでの道のりをつんく♂に告白
OWVの誕生秘話につんく♂「紆余曲折あったんだね」
つんく♂:今日は楽しくやりましょう。では、さっそくデビューまでの道のりを聞かせてください。どんな夢を持っていたの?
中川:じゃあ僕から。中川勝就です。昔から芸能界に憧れがありました。でも、大学4回生までは就職も視野に入れて、企業の説明会にも参加していましたね。本格的に就活が始まる直前に「最後の記念受験だ」と東京で俳優事務所のオーディションを受けたら合格して、「アーティストになりたい」という気持ちが強まったんです。でも、結局うまくいかなくて。事務所の契約が切れる時に、年齢的にも最後のチャンスだと考えて、オーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』を受けました。
つんく♂:そうなんだ。モーニング娘。は中学生前後でオーディションを受けるけど、みんなはある程度、大人になってから受けたよね?
中川:そうですね。大人になってから挑戦した分、巡り合わせはすごく感じました。
本田:OWVリーダーの本田康祐です。小学生の頃から漠然と「芸能界に入りたい」と考えていました。仮面ライダーに出演する俳優や、テレビ番組『アッコにおまかせ!』に出演したいと思ったのがきっかけです。
最初は、新聞広告に載っているような養成所で、小学校から中学校まで演劇を学びました。そこでダンスボーカルユニットを見る機会が増えて、「音楽業界に入りたいな」と目標を持ったんです。ダンスを自分でコピーして、当時は福島県に住んでいたのでオーディションを見つけては上京していました。
でも、どこの事務所も受からずに、高校卒業のタイミングでダンスの専門学校へ進学。ダンサーとして活動しながらインディーズのアーティストとして3年間活動した後、『PRODUCE 101 JAPAN』のオーディションに参加して今に至ります。
佐野:佐野文哉です。僕は通っていた母校が廃校になるくらいの過疎地域で育ちました。学年の人数は9人しかいません。そういう場所では、エンタメやダンスが浸透していなかったんですが、漠然と「有名になりたい」という熱はありました。
小学生の頃にナインティナインの岡村隆史さんとEXILEがユニットを組んだ「OKAXILE(オカザイル)」をテレビで観て、ダンスに興味を持ちました。大学入学のタイミングで上京したら、すぐにLAへダンス留学。いろいろやっていくうちに、『PRODUCE 101 JAPAN』に出会いました。
浦野:浦野秀太です。僕は小学校6年生の時に、母親が履歴書をある芸能事務所に送ったら合格して、右も左もわからず芸能界に入りました。バックダンサーとして大きな舞台に立つ日々は楽しかったですけど、もちろん主役は人気グループでお客さんは僕を見ていないんですよね。「頑張っているのに、その他大勢」という扱いが、悔しかったです。
「メインで舞台に立つためには、歌とダンスをしっかりと学ばなきゃならない」と退所して、その後は別の養成所に通いました。そうこうしている内に改めて事務所に入る必要性を感じてオーディションを受けたんですが、そこでも新しいグループは作られないまま4年が過ぎて……。
「このままだと夢が叶えられないのでは」と焦った時に『PRODUCE 101 JAPAN』のポスターを見ました。事務所に所属していると出られない条件だったので退所し、今に至ります。
オーディションに落ちた時も「今なら何でもできそう」と思えた本田
つんく♂:思ったより紆余曲折あったんやね。でも、『PRODUCE 101 JAPAN』は落ちたでしょ?
全員:落ちました。
つんく♂:落ちたけど、その実績が買われて、吉本興業でデビューできたんだよね。どんなことを思ったの?
中川:自分は『PRODUCE 101 JAPAN』の第1回審査で落ちたんです。韓国の『PRODUCE 101』などの傾向として、番組の序盤で落ちると他の事務所からも声がかかりづらいから、「終わったな」と落ち込みました。何もできない時期が続いたんですよね。
それから半年ほど経ち、(佐野)文哉を気まぐれでごはんに誘ったんです。そこで文哉が「本田くんがダンスボーカルユニットを作るんだけど、一緒にどう?」って声をかけてくれました。言葉を選ばずに言えば、本当に運が良かった。「初回で落ちた俺にもチャンスがあるんだ」と、すごくうれしかったです。
本田:僕がデビューしたのは25歳ですが、正直18歳くらいからは「デビュー」自体は目標にならなくなっていました。もちろん高校生ぐらいまでは憧れていたんですけど、上京してインディーズアーティストを始めた頃には、昔より誰でもメジャーデビューしやすい世界になっていて。昔より価値が薄れたと感じました。だから、デビューできたことよりも、OWVとして活動できることの方が嬉しいですね。
つんく♂:(うなずく)
本田:『PRODUCE 101 JAPAN』を知った時は、今までと違うデビューの仕方ができるんじゃないかとワクワクしました。実際、参加したら自分の知名度が上がる実感があって、落ちた時も「何でもできちゃいそう」という感情の方が大きかったんです。Instagramのフォロワーは何十倍にも増えていましたし。その後、吉本興業で一緒にグループを作る話が進んで、「今の音楽業界にないような面白いことができそう」っていう嬉しさと楽しみが大きかったですね。
佐野:僕は過疎地域出身です。集落全体が僕のことをワンチームで盛り上げてくれるんですよ。ダンスの文化なんて届かない場所なのに、定期的に体育館へダンスの先生が来てくれるようになったんです。
みんなで踊る会を作ったり、母校の高校でも、先生が給食の時間にOWVの曲を生徒の許可なしでめちゃくちゃ流しまくってくれたりしているんです。ありがたいことだし、良いスパイスになっていますね。地元に影響を与えられる存在になれたのが嬉しいです。
浦野:僕は小学生の頃から「大きなステージで歌って踊るダンスボーカルユニットになる」の夢一本でやってきたから、早くその夢をOWVで叶えたいなと思っています。芸歴が長い分、お世話になった人が多いので恩返しをしたいですね。中高生の頃に「いつ夢を叶えるの?」と言ってきた人たちをギャフンと言わせたいです。
本田:叶えられる前提で言ってくれたんだ。格好いいじゃん。
浦野:たしかに、そうだね。
4人がOWVとして芸能界で掲げる夢
つんく♂:俺らのアマチュア時代って、「バンドで売れて金持ちになって見返してやる!」というのがミュージシャンの目標の一つでもあったけど、今の時代のみんなはどういう思いで芸能界を目指すの? モテたいとか?
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