芸術における、「天才、プロ、アマチュアじゃんけん」の法則。
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芸術における、「天才、プロ、アマチュアじゃんけん」の法則。

たくさんの方に読んでいただきましたつんく♂のコラム「凡人が、天才に勝つ方法。」。今回は感謝の気持ちを込めて、続編を全文無料公開します。
(文 つんく♂ / 編集 小沢あや / イラスト みずしな孝之

これまでnoteでは「天才」という言葉をテーマにちょくちょくお話をしてきましたが、今日は天才とプロとアマチュアの定義を話してみたいと思います。

これは、プロ、アマ、天才じゃんけんの勝敗相関図です。

じゃんけん3

結論として、「プロ」は「天才」に勝ちます。しかし、「プロ」は「アマチュア」に負けます。そして、「アマチュア」は「天才」には勝てません。

それでは、仕組みと定義を紐解いていきます!

一般的な「天才」の定義

誰もが憧れる「天才」。

「天才」ってなんでしょう? もちろん、才能のある人という意味です。でも、日常で誰かをさして「あいつ天才」と思うのって、どんな時ですか?

人間って、自分の知らないモノが出てくることを恐れます。なので、芸能界においても、たいてい新人を何かに例えます。「美空ひばりの再来」とか「令和の松田聖子」とか「往年の野茂英雄もびっくり!」とか。何か既存の知ってるものに置き換えると、とても安心できるからです。

「美空ひばりの再来」って言われると、歌の上手い子役も出来る歌手。「令和の松田聖子」って言われると、福岡の歌の上手いアイドルたるアイドル。「往年の野茂英雄もびっくり!」となると、野球選手でピッチャーで、社会人あがりで、しかもメジャー志向! みたいなのがすぐイメージできる。これが人間の「無知の恐怖」から脱却させる「とんぷく」みたいな言葉の効果です。

しかし、知ってるものにどうしても置き換えられないものと本当に出会った時、恐怖に覆われるのです。「え? 何、この現象!?」「この震える感情はなんだろう?」「うますぎる」「すごすぎる」「革命的すぎる」。こういう時、大人であればあるほど震えます。

たとえば、ビリー・アイリッシュみたいなのが出てくると、大人はアラを探します。「そんな完璧なヤツはいない。いてほしくない」といわんばかりに。でも、思春期の子どもたちは常に大人に反発する何かを求めているので、大人が解釈出来ないものほど食らいつき、信者のごとく崇めるわけです。

そんな大人が観念した時に使う言葉、それが「天才」なのです。

「あの子は天才だから」。解釈、分析出来なくなってしまった「脳」は今にも煙を出して焼けそうです。「あの子は天才だから」そうやって「脳」に水をかけ、冷静さを保ちます。

「モーニング娘。」はデビュー当初、「平成のおニャン子クラブ」と呼ばれました。世間は「なるほどなるほど」って納得してくれてました。シャ乱Qもデビュー時は「浪速の米米CLUB」とか「平成のC-C-B」とか、いろいろ言われたものです。

松浦亜弥も最初こそ「聖子ちゃん」とか「キョンキョン」に例えられかけました。しかし、あまり近くもないし、歌唱法もなんか違う。結局「天才、あやや」と言われるようになったんです。あの子の持っている「なんとも言えない愛くるしさと知的さと肝っ玉さと目力、サバサバ感」は、過去の何かと置き換えにくかったんでしょうね。

とまあ、ここまでの「天才論」はあくまでも通常、日本人が使う「天才」という言葉の使い方。本来の「天才」の意味とは違います。

「天才」の本来の意味と「プロ」の定義

では、みんなの憧れる本来の「天才」とは何か。

クリエーターとして、何度か考えたことがあるので、お伝えします。まずは「プロ」の定義を知っておくべきなので、そこから話しましょう。

僕たち「クリエーター」は「ゼロのものを1以上にして価値を持たせ、マネタイズするお仕事」だと一般的には考えます。

魚を釣ってきて、仕掛けにかかった原価に自分の労力賃を乗せて、商品に値段をつける。これは、目に見える物を売るわけですね。でも、頭に思い描いたアイデアに値段をつける作業は、とても難しいです。目に見えないからですね。イメージを絵や彫刻などに転換したり、音楽もレコードやCDになれば、「モノ」になります。しかし、便利な空論的なアイデアを1枚の紙にして価値を感じてもらうのは、とても難しい作業なんです。

僕らクリエーターは、「需要に対応する能力と、作品を定期的に、安定供給出来ること」を求められます。こういうのをなんというか? これが「プロ」のお仕事ってやつです。

例えば、それを作曲家で定義してみましょう。わかりやすくするために極端な話をしていきますので、ここでいう天才は究極の「天才」として例えていこうと思います。

「天才」は、すごい画期的な曲を作るかもしれません。ひとつの作品で一生分稼いじゃうかもしれません。「天才」は天から才を授かるので、いつでも創作が出来るわけでもないです。真夜中や食事中に、いきなり思いつきます。その次が1カ月後なのか、半年先なのか、3年後か、もう一生ないのかは、わかりません。閃いた時、書きたいと思った時に書き始めるのが「天才」です。

また、天才は自分の作った作品に興味があるけど、いくらで売れようが、どんな風に拡散されていこうが、まったく興味がありません。なので、天才には「夏がテーマで」とか「今週中に」とか、「3分半で」などのテーマを投げかけることも出来ません。湧いてきたものが作品であって、誰かのために作るのではないからです。

これらが「天才」です。

なので、天才は一生分の稼ぎをたったひとつの作品で叩き出す人もいると思います。でも、3年分くらいの稼ぎにしかならなかった場合、また次の作品が3年後くらいに降りてくるといいんですが、5年後だったら2年間分の大赤字です。借金するのか、材料も買えず路頭に迷うのか。それでも、思いついた時に作品を作り出すのも「天才」なのでしょう。

そして、天才は生きてる間に評価されない場合もあります。歴史を振り返っても、生前に大金持ちになった天才が何人くらいいるのかなぁ……? まあ、これらが「天才」の性ですね。

ただ、当人は書きたい時に手がけ、出来ないときはしない。他人の評価もお金にも興味ないのであれば、貧しくとも「幸せ」ではあると思われます。仮に音楽家と限定して、「天才」と呼ぶにふさわしい人が一億人に1人。まあ、多くみて10人くらいいると考えてもいいんですが。結局、天才は努力してなれるものでなく、天性のものなのです。現時点で「天才」じゃない人は、もう天才ではないわけです。

「プロ」、最強!

それに対して、「プロ」は「天才」のように、1曲で一生分稼ぐような突き抜けた作品は作れないのかもしれません。ただ、クライアントから「何月何日までにお願いします」「『サマーバケーション』という言葉を使ってください」とか、「15秒と30秒Verの願いします」という諸条件はもちろんのこと、市場が求める必要最低限のクオリティをキープします。

さらに個人的な部分でも「スキャンダルに注意する」とか、「安定供給出来る」とか、ときに他と比較できないような素晴らしい作品を生み出します。画期的な流行を巻き起こしたり、情報を収集して、いち早く時代のトレンドを取り入れたり、マーケットを絞り込んで作品を作ることも出来ます。

実績を重ねながら信用を得て、本来ゼロ円だった頭の中のモノに価値を持たせ、値段がつけられ、曲がマネタイズされていく。これが「プロ」です。

日本で、昭和から平成、令和にかけて、レコードやCDを売るということを中心にこの「プロ」としてたくさんを売り上げた作曲家の代表として、少し前のnoteでも書いたような方々ならパッと思い浮かぶでしょう。「歴代作曲家シングル総売上 TOP5」によると、「1.筒美京平さん」「2.小室哲哉さん」「3.織田哲郎さん」「4.桑田佳祐さん」「5.つんく♂」となっています。(オリコン調べ)作詞家なら、秋元さんや阿久悠さんの曲は平成生まれの人でも10曲くらいは誰でも知ってると思います。

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このような方々を天才と呼ぶのは簡単ですが、僕が思うのは、やっぱ、みなさま究極の「プロ」であると定義した方が理解しやすいんです。なぜなら、量産出来て、クオリティの維持がなされていて、市場の期待にしっかり応えているから。小さな実績の積み上げ、時に大きなヒットも飛ばし、長期的に結果を出し続けていく。それによって本人も富を得るし、経済的な効果もある。すごいですよね。

では、プロ=最強じゃないか! となるわけですが、違うんです。「プロ」はクライアントや「市場」に支えられています。したがって「こういうフレーズは使わないでください」とか「クライアントの社長の奥様がこのフレーズは嫌だと言ってます」という、不条理にも対応しなきゃいけないんです。

それ以外にも「コンプライアンス」「放送コード」「時間尺」などなど、さまざまな縛りに対応した作品を作らなければなりません。「閃いた!」「思いついた!」「これが刺激的!」「こっちの方がかっこいい!」など、そっちの方がいいのがわかってても、なんらかの理由で丸く収めなければならない……それがプロの宿命でもあるわけです。

ここまでの結論を言うと、収入や経済的な観点で安定的に稼げる人は「天才」より「プロ」という図式が成り立つのはお分かりだと思います。

プロ>天才。

なぜ、アマチュアがプロより強いのか?

さて、アマチュアはどうでしょうか。

アマチュアは、「好きこそものの上手なれ」「下手の横好き」。いろんな言葉はありますが、収入に関わらず、とにかくやりたくてやっている人をアマチュアと呼びます。作曲するのが好きであれば、上手い下手関係なく「アマチュアの作曲家」なのです。

完全な趣味で楽しみたいアマチュアの場合、締め切りはないし、コンプライアンスも気にしないで、とことん「エロス」を追求してもいい。「ゴミですか?」と言われても、その人がしたいのであれば、何をやってもいいのです。

音楽なら10分の曲でも3秒の曲でも、不協和音が続こうが、ベースラインが3本重なっていようが、ラジオで放送出来ないくらい歪んでいようが、人間では絶対弾けないようなピアノの指の使い方だろうが、全部正解なわけです。

なんにも遠慮せず、思いついたまま仕上げればそれが作品。趣味なんだから、売れようが売れまいがどうでもいいんです。他人の評価も関係ないし、「完成」としたはずの作品を、明日書き換えても誰にも文句は言われません。これがアマチュア。つまり、無敵です。

実は、僕らプロが一番怖いのが「アマチュア」なんです。僕らは歴史を積めば積むほど、感覚的に「これはお茶の間向きではない」「これは何かに類似していると言われる可能性がある」「これはディスコードしている」「単純にレコ倫に引っかかるな」など、作品を作ったあとで、結局ややこしくなりそうな問題は排除しながら作っていくクセが身についてます。いつの間にか、クリエイティブにフィルターをかけてしまっているわけです。

でも、アマチュアはそんなことを気にせず作って良いので、僕らプロなら使わないような言葉を臆さず選ぶことが出来ます。ニコ動やYouTube等で、ハラハラするような作品をバンバンアップ。プロアマ問わずコンペで作品を提出するというような場合、僕らプロはアマチュアにやっつけられる可能性が高いんです。

アマチュア>プロ。

プロの僕が「アマチュア」だった頃の秘話

僕たちがアマチュアだった時の話をしましょう。もともと、大阪のアマチュアだった僕らのバンド「シャ乱Q」。社会的には学生という肩書きで生きられるので、成人はしているものの未完成という扱い。大人でもないが子どもでもない、なんとなく社会に守られた立場でアマチュアバンド活動をしていました。

当時の僕たちは、今の炎上系YouTuberじゃないけど、少々のルール違反も「有名になるためなら!」と、やっちゃってたように思います。自分たちのバンドのステッカーを作っては、近畿圏にある女子校や短大あたりの通学路にベタベタと貼っていたんです。その節は、近隣の皆様に大変なご迷惑をおかけしました。お許しください。

そして、僕らを有名&人気者にしてくれた大阪城のストリートライブ。毎週日曜の昼間に発電機を使ってアンプを通して、そこそこの爆音で音を鳴らしていました。

真後ろには大阪でも品格の高いホテルがあります(現在、僕が家族でのプライベート含めてもっともお世話になってるホテルです)。毎週日曜にライブをやり出した頃は、毎週のようにホテルのマネージャーが来て、「もう少し音量をなんとかしてほしい」という交渉も受けました。公園管理局からも「やめてほしい」という話がきましたが、「他にオーケストラの練習してる人たち、ドラムの練習してる高校生もいるなか、なんで俺らのロックはダメなんだ!」みたいな反論をし、なんだかんだで居座りました。

僕らの言い分は、「僕らが練習してたら勝手にそれをみてる人らがいるだけで集会をしてるわけではない」。今考えると、ありえない言い訳ですね。迷惑系YouTuberと変わらない……(笑)。公園管理局からは「ゴミはもちゃんと捨てること、公園を壊さないように集まってる人たちにもちゃんとインフォメーションしなさい」というところで落ち着きました。

まあ、結果的に僕らだけでなく、他バンドもたくさん集まってきて、ローカルニュースでも大阪の文化として取り上げられるようになって、なんとなく根付いていったので救われました。が、もし、あの頃にお客さんが集まりすぎての大事故、大怪我等あったら、と思うと、ゾゾっとしますよね。これ、まさにアマチュアの極みです。プロでは真似できません。

さらには、大阪で人気ものになった僕らを日本一にのし上がらせてくれたコンテスト、NHKの「BSヤングバトル」でのエピソード。このコンテストは、書類&テープ審査から始まって、大阪地区予選、近畿ブロック大会を勝ち進んで、ようやくNHKホールでの東京本選たどり着くという長丁場なもの。僕らも、ファンにとっても、緊張感が長らく続く長期戦でした。そして、いくつかルールがありました。そのひとつが「応募曲は4分(なんかそんくらい)」。

コンテスト用に4分のショートバージョンを作って応募、テープ審査をクリアし、見事、大阪地区予選も突破します。「とにかく人気者になりたい。ファンを増やしたい」と考えていた僕ら。近畿ブロック大会からテレビで放送されるというので(たしか生放送だった気がする)、「目立つしかない!」と、出来る限りのファンに集まってもらいました。

ワーキャーの声援もバック演奏の一部とするような雰囲気を作り、そして無謀にも勝手にフルサイズで演奏しました。演目はどんなフェスでも百戦錬磨で盛り上がる鉄板曲「ラーメン大好き小池さんの唄」。フルサイズは6分はあったと思います。優勝するとか、全国大会に行くなんてのは、あてにもしてなかったので「1秒でも長くテレビに出てやる」という気持ちが無茶をさせたんだと思います。

結果、そんな無欲が功をそうしたのか、歓声をあびながら、近畿ブロック代表に選ばれます。おそらく、コンテスト側も盛り上がっていたからこそ良しとしてくれたのだと思います※。

ですが、本編終了後、早速番組プロデューサーに呼ばれました。

※エピソードとしては、この時点で審査員は「このバンドは4分超えてるしダメでしょ」という反対派と、「いいじゃん、尖っててファンもたくさんいるし、こういうのが音楽界を盛り上げてかないとダメでしょ」、という吉見佑子さん率いる賛成派とで別れたらしいです。結果、吉見さんらの熱弁もあって、近畿ブロック大会を通り抜けることができました。当然、僕らはそんなことも知らずに、全部自分の手柄くらいに思っていましたがね。

「君ら、これ4分じゃないよね。10秒20秒くらいのオーバーはアマチュアなんであるかもしれないけど、1分以上のオーバーは、これ完全に確信犯でしょ。次はダメだよ。4分に仕上げてきて」。結構叱られてしまいました。

勝ち進んだ東京本選でも、リハから入念に時間を計られ、「4分だぞ。生放送だからな! お前らはほんまに目が離せん」と、かなり絞られました。BSとはいえ、全国生放送。アマチュアの僕らからしたら、「素人を生放送で扱う大人が悪い」くらいに考えていました。「最初はテレビに出れたらラッキー」くらいに思っていました。

が、しかし、ここまで駆け上がってきた時点では欲も出てきます。人生1回くらいは「日本一」と言われたいと思って、本番も当然ながら4分バージョンを演奏しました。そして、たくさんのファンも大阪から駆けつけてくれるなか、全国から集まった強者どもを破り、見事優勝することが出来たんです。いや〜、嬉しかった! と、ここまではのし上がってきたアマチュアバンドの美談なんですが……。

番組終盤で「優勝バンドにはもう一度受賞曲を演奏していただきます!」と、MCの小林克也さんからの紹介が入ります。「残り時間6分少々」というADさんのカンペを見ながら僕らはセッティングを始めました。メンバーと細かく打ち合わせしてたわけはありませんが、その場で目と目を合わせ「いくか」「いくしかないやろ」「わかった」。こんな感じで、番組には申し訳ないけど、フルコーラスVerを演奏し始めました。

本来は僕らの演奏が終わって、審査員からの総合的な感想を聞きつつ、エンドロールで当日のスタッフの名前がロールアップされながら終わっていく演出だったんです。その日の総合プロデューサーは近畿ブロック大会の時、僕らに「時間を守れよ!」ってこっぴどく注意してくれた方でした。

演奏の途中で「あ、こいつらやりやがった!」と気がついたらしいのですが、「おい、こいつらのこれ6分以上あるから、もう諦めて! エンドロール出してもう間に合わないわ!」と判断したそうです。僕らの演奏の途中からエンドロールが流れ始め、曲が終わった直後に生放送が終了するという、超考えられないむちゃくちゃな結果となりました。

これがもしMステとか、紅白でやっちゃったら、2度とテレビに出れないだろうなぁ〜! ってな話ですが、アマチュアだったからやれたんやな。怖い物ないから(笑)。もちろん、終わったあと、再びこっぴどく怒られましたが、そのプロデューサーさんは、デビュー後もずっと可愛がってくれました。ありがたい話です。

とまあ、話は長くなりましたが、アマチュアにはルール無用なので、どんなこともアリなわけですよ。まあ、本人の覚悟次第ですがね。

注意! つんく♂が言うてたからといって、どこかの何かで無茶をして、どんな結果になっても、私は責任持てませんので悪しからず……(笑)。

アマチュアが無敵だが、それでもプロになりたいか?

ここからはかなり重要です。僕がプロ、プロデューサーの立場になって学生さんに対して講演会や講義を行うときに思うことを伝えます。

学生や素人、アマチュアさんは、ルールや枠組みを気にする必要はありません。でも、学校側も「まとめるコツ」とか、「コンテストやコンペに通りやすい例」を教えてくれます。もちろん、これらはとても重要です。とくに、プロを目指す人にとって、コツは学んでおいて損はありません。プロになった後も、とても役立ちます。

ここで伝えたいのは、年に1回の発表会や、企業案件で、学生さんからの作品を募集する場合のエントリー作品に関してです。もっともっとチャレンジしていいのに、もっともっとむちゃくちゃでもいいのに、上手にまとまっている作品がやたらと多いんです。なんかどっかで聞いたことある感じ。すごくいい感じなんです。きっと、友達や恋人に見せる(聴かせる)と、「わ、プロみたい」「素敵。かっこいい」「これ流行るんじゃない!?」みたいな感想を得ちゃうような作品が出揃います。まるで何かCMの代理店から発注を受けたようなコンペ作品集みたいな感じに。

アマチュアなんで、知り合いや身内、恋人等に小褒めしてもらえるような作品でもいいんですが、僕は思います。「こっち側」で戦うと、絶対にプロには敵いません。アマチュアが無難にまとめてきた作品程度では、百戦錬磨のプロたちの作品には絶対に太刀打ち出来ないと思うんです。なので、僕は「アマチュアはプロに勝てる」というジャンケンの公式をしっかり頭に入れて、戦うべきだと考えています。

荒削りでいいし、ルールから飛び出てていいし、ディスコードしててもいいし、歪んでてもいいんです。僕らプロが審査する時は、そんなことも含めて素質を見抜きます。最初から自分でフィルターをかけちゃってるまとまった作品には、まったく興奮しないわけです。だからこそ、アマチュアとして作品に応募する時は、尖ったまま、荒削りのまま提出すべきじゃないかと。

で、それがCMに使われるとか、世に上がるとなったときには、「この作品いいけど、こことこことは削ぎ落とそう、まとめよう」ってアドバイスや指示がくると思うので、その時にある種プロの入り口として、指示受けた点だけ修正すればいいんじゃないかなと。なので、大結論として、アマチュアが最初から世の中に忖度して、自分の作品を丸く角を取っちゃうようなことは絶対にしない方がいい。僕はそう思います。

天才、プロ、アマ、ジャンケンの仕組み、わかりましたか?

最後にアマチュアが天才に勝てないのは、当然のごとく、アマチュアの考え方の極みが天才なわけです。最初にいったように天才にはルールや締め切りがないので、そもそもの才能が「天才でない」と判断されたら、アマチュアの作品は天才には勝てません。没後に評価されるかもしれんけどね。

天才>アマチュア。

昨今はアマチュア作品もYouTube等であげることが出来るし、再生数や評価はプロもアマもなくなってきてしまったので、カテゴライズも難しいです。

でも、アマチュアもYouTubeで収入がたくさん入ってくるとやっぱりプロ扱いとなり、注目度が上がれば当然、常識とか、倫理感を問われるようになります。アマチュアであっても、無茶がすぎるとYouTubeサイドもアカウントをBANするでしょうし、なんでもかんでもOKというわけにはいかないですね。

ということで、僕たちプロは今後も世間という壁を乗り越え、世間と戦いつつ、そして、世間という風にうまく乗りながら、世間を味方につけ、世間のアンチを分析し、世間とともに流行を作って、世間と一緒に成長していく。そうやってジャンケンに強い「プロ」アーティストを目指していく所存でございます!

アマチュア諸君の未来は明るい! アマチュアまじ怖ぇ〜!

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つんく♂

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総合エンターテインメントプロデューサー / TNX株式会社代表取締役社長。1992年、ロックバンド・シャ乱Qのボーカリストとしてデビュー。音楽家として作詞・作曲と、「モーニング娘。」をはじめとした数多くのアーティストプロデュースを手がける。