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「承認欲求」の根底にあるのは、劣等感を払拭したい気持ちかもしれない

マガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」のご愛読、ありがとうございます。今回の書き下ろしコラムのテーマは「承認欲求」。なにかと甘く見られがちな感情ですが、その根底にあるものって? 改めて考えてみました。
<文 つんく♂ / 編集 小沢あや(ピース) / イラスト みずしな孝之

承認欲求という言葉をちょいちょい耳にすると思います。だいたいは、「自分を認めて欲しい!」「褒めて欲しい!」 それ以外にも「もっと話を聞いて欲しい!」 などシンプルなものでしょう。

もちろん誰にでもあるものだと思います。子どもも「お母さんやお父さん、学校の先生に認めてもらいたい!」という気持ちの中で心も成長していくものです。これも承認欲求ですね。そしてだんだんと「クラスの中でもウケたい! 目立ちたい! 笑いを取りたい! すごいって思われたい!」というような、よりパーソナルな承認欲求が生まれてきます。

このあたりから個性、個人差がずいぶん出てくるんだと思います。「クラスで目立ちたい!」 という人もいれば、「学校では目立ちたくはないけどSNSの中で目立ちたい!」というような人。自分でなく違う何かになりきって表現する人もいます。役者をやってみたり、VTuberだったり。

絶対に一番目立たないと気が済まない人もいれば、個性的な趣味を持った4、5人の仲間の中でお互いを尊重し合えればそれで満足な人もいるでしょう。もちろん逆も同じくらい存在するでしょうね。なるべく目立ちたくない。存在を消したい。構われたくないなどなど。

ちょっと振り返ってみます。僕が育った大阪は「男前よりオモロいやつがモテる」が本当の話で、頭が良い子とかイケメンより、足が速くてオモロいやつがモテました。なので、みんなこぞってテレビで流行ったオモロそうなことは、とっとと覚えてクラスで披露したものです。わかりやすい承認欲求の表れですね。

その次に尊敬されるパターンとしては、週刊誌のハガキコーナーで絵が載るパターンや、懸賞コーナーで当選者の中に名前が載るというのも「お〜」となる出来事の一つでした。

中学生のときは、深夜ラジオのネタコーナーでネタが読まれるようになると翌日がクラスでもなかなかのヒーローっぷりだったように思います。

それくらいの年齢になってくると、単にオモロいやつだけでなく、朝礼の時間に校長先生から発表されるようなすごいやつが一目置かれるようになります。何かの賞を受賞したり、市の大会で上位まで行ったり、勉強の成績優秀なやつですね。

で、今日は承認欲求のお話です。僕らの学生時代はテレビもラジオもパワーがあったし、音楽産業も勢いがあったので、芸能界を目指すというのもすごい夢のある目標の一つでした。

当時はアイドルも全盛期で、アイドルを目指す人。歌手になりたい人。俳優になりたい人。このあたりがまずメインで誰もが憧れる部分で、その次にミュージシャンですね。シンガーソングライターという言葉があって、弾き語りをするミュージシャンがなんだかかっこいい感じがしました。

大阪なので、当時の他の地域よりは「漫才師」や「落語家」「コント師」「コメディアン」などの存在も、アイドル並みに人気がありましたね。

もう40年も前の話なので、今の時代に置き換えて話すのは難しいですが、そんな僕も迷いました。勉強でいい大学に入ることなのか、スポーツ選手を目指すのか、オモロい兄ちゃんとして吉本興業に行くのか、アイドルには程遠くとも、いわゆる歌手になれるのか? ギターを扱うミュージシャンになるのか。などなど迷いました。

あの当時のこの感覚ってなんだろう? それが今回のテーマです。単なる承認欲求だけの話なのでしょうか。

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