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マドンナやテイラーのツアーに参加するプロダンサー・MAHO UDOと対談!

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」。今回の対談ゲストはダンサー・振付師のMAHO UDOさんです。LAを中心に世界で活躍していて、マドンナ、テイラー・スウィフト、クリス・ブラウン、ジェイソン・デルーロといったトップアーティストのツアーに参加しています。今回の対談もクリス・ブラウンのヨーロッパツアー参加中の合間に行われました。

前編では、つんく♂との出会いやMAHOさんがダンスに目覚めたきっかけ、渡米した経緯などをトークしました。対談後編はこちら。
<文 伊藤美咲 / 編集 小沢あや(ピース株式会社)

二人の出会いはテイラーのライブ

つんく♂:まずは、MAHOくんの簡単な自己紹介をお願いします!

MAHO:カリフォルニアのLAでダンサー、振付師をしているMAHO UDOです。よろしくお願いします。

つんく♂:年齢は公表してるんだっけ?

MAHO:現在36歳で、今年の夏に37歳になります。

つんく♂:僕とMAHOくんは、2015年に行われたテイラー・スウィフトのライブがきっかけで知り合ったんだよね。僕は声帯摘出の手術をしたあと、まだ日本に住んでいた頃で。

MAHO:そうですね、ハワイに引っ越す前でしたね。

つんく♂:当時、娘が通っていたインターナショナルスクールでテイラーが流行っていて、娘も毎日聴いて踊っていたのね。で、テイラーが来日するから「観に行かな!」と、ライブのチケットを買って家族で観に行ったの。

ライブ中、娘たちはゴンドラに乗って移動するテイラーに夢中になってキャーキャー言ってたけど、僕は中盤あたりから「めっちゃ動きのいい東洋人がおるぞ〜」と気づいて。「アジア系アメリカンの人かな」と思っていたら、テイラーがMAHOくんのことを日本人だと紹介したんだよね。

MAHO:テイラーはその土地の人がいる公演では、絶対にメンバーを紹介してくれるんですよ。だから日本公演では僕のことを紹介してくれたんです。そのときは「Style」の途中だったかな。

つんく♂:それを見て「え? 日本人なん!? やられてもうた〜!」ってびっくりして。終わってからテイラーのライブの感想をツイートしつつ、「日本人がバキバキに踊って目が離せなかった」と書いたんよ。

つんく♂:僕からしたらそれで終わりの出来事やったけど、MAHOくんからリプをもらって、ちょっとテンション上がりながら返信した記憶がある。

MAHO:初日だったし、テイラーに紹介してもらったこともあって、「みんなどんなこと書いてるかな」と思ってTwitterを見てみたら、すごい数のメンションが来ていて。「つんく♂さんがMAHOさんのことを書いてます」と教えてもらって、「これは挨拶しておこう」と思って、リプライを送らせてもらいました。

つんく♂:なるほど! それからDMで個人的にやりとりをするようになったんだよね。

MAHO:つんく♂さんのツイートがなければ全然接点がなかったと思うので、本当にありがとうございます。

つんく♂:どのタイミングか覚えてないけど、串カツを食べに行ったことがあったよね。あれはニューヨークやっけ?

MAHO:ニューヨークですね、「レピュテーション・ツアー」の時に。あと、テイラーの「1989ツアー」の休暇で日本に寄ったときに、つんく♂さんの自宅にもお邪魔させていただきました。

つんく♂:そっか、家も来てくれたもんね。日本のレストランでもごはん食べたし、ニューヨークでも遊んだよね。いつも子どもたちも一緒やったから、わちゃわちゃしてたと思うけど。

MAHO:いつもご家族と一緒にお会いさせていただいてますね。

つんく♂:我が子らも大きくなって、もうすぐ15歳。今度会ったら印象がだいぶ違うはず。

MAHO:たまにLINEでお子さんの写真を送ってもらっていますが、最後に会ってからは8年以上経つので、だいぶ印象が変わると思います。子どもの成長はすごく時を感じますよね。また会えるのを楽しみにしてます。

シャ乱Qブーム真っ只中の小学生時代

つんく♂:ここからは、MAHOくんのこれまでの話を聞かせてもらおうかな。実家は大阪よね?

MAHO:はい。生まれは京都なんですけど、2歳のときに大阪の松原に引っ越しました。小学生のときはすごく内気な子で、外で活発に遊ぶことより本を読んだり絵を描いたりするほうが好きでしたね。ピアノやエレクトーンもやっていました。人前に出るのが苦手なタイプで、休み時間もずっと教室で本を読んでいました。

つんく♂:へ〜。サッカーや野球はしなかったの?

MAHO:サッカーはちょっとやっていましたけど、絵や音楽のほうが好きでしたね。

つんく♂:勉強は得意だった?

MAHO:小学生の頃は得意でした。生徒会長や学級委員もやるタイプでしたね。

つんく♂:モテてた?

MAHO:自分で言うのも烏滸がましいんですけど、モテてたと思います(笑)。バレンタインのチョコはだいぶもらいました。

つんく♂:文化系なのにモテるってことは、出来杉くんみたいなイメージなんかな?

MAHO:そんな感じですかね(笑)。小学生のころってサッカーが得意だったり、足が速かったりする子がモテる子じゃないですか。そういうスポーツ万能でモテてる子もいました。

つんく♂:大阪って、オモロイやつが無敵やん? そっち側ではなかったんでしょ?

MAHO:どうなんでしょう。「こいつおもろないな」ってことはなかったと思います(笑)。クラス全体で話すのは苦手だけど、少数相手ならみんなと仲良くできる感じでした。

つんく♂:僕とMAHOくんは18歳差あるけど、「つんく♂」を知ったのはいつごろ?

MAHO:僕は86年生まれなので、小学生の頃は「ズルい女」がヒットしていた、シャ乱Q真っ只中の時代。だから、物心ついたときにはもうシャ乱Qを知っていましたね。

つんく♂:「LOVEマシーン」も小学生の頃?

MAHO:小学5年生のときに「モーニングコーヒー」が発売されたので、「LOVEマシーン」は中学1年生ですね。

つんく♂:なるほど。小学生のMAHOから見たシャ乱Qは、どんなだった? 濃かったやろ?

MAHO:面白かったですね。ビジュアルはかっこいいけど、どこか中性的で、一人ひとりに個性がありますよね。あとは『HEY!HEY!HEY!』などのテレビを見ているときに、「関西人やから喋りが面白いな」って思った印象があります。

つんく♂:へ〜。

MAHO:シャ乱Qは本当に好きでしたね。TSUTAYAに行って、昔の曲もよく聴いてました。

中1からジャニーズ事務所での活動がスタート

つんく♂:文化系少年だったMAHOくんは、どうやってダンスに目覚めたの?

MAHO:小学4年生ごろに母親と姉がジャニーズにすごくハマっていたんです。その影響で『8時だJ』や『ミュージックステーション』をよく観ていて、歌って踊ることに刺激を受けました。

あと、父親が持っていたマイケル・ジャクソンのミュージックビデオ集にあった「Smooth Criminal」や「Thriller」を見て、ダンスを習ってみたいと思ったんです。自分から「何かをやりたい」と言うのは、すごく珍しかったですね。

それまではずっと運動神経が悪かったんですけど、急に走るのが速くなったり逆上がりができるようになったりして、活発的な子になり始めて。ちょうどその頃、ジャニーズ事務所のオーディションがあると聞いて、母親と姉が張り切って履歴書を送ってました(笑)。

つんく♂:その後はどうなったの?

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