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普通、アイドル17年やってらんないでしょ!? つんく♂×柏木由紀対談

noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」。今回は4月30日にAKB48を卒業した柏木由紀さんとの対談です。AKB48加入前、モーニング娘。8期のオーディションを受けていた柏木さんがつんく♂と初対面! どんな思いでアイドル活動を続けてきたのか、そして幼いころから身近にあったハロー!プロジェクトの曲は何かを、つんく♂と一緒に振り返ります。後編はマガジン内で来月公開予定です。
<構成 結井ゆき江  /  撮影 YOSHIHITO KOBA / 編集 小沢あや(ピース)

秋葉原に突如現れたAKB48劇場 つんく♂が受けた衝撃

つんく♂:ずいぶん昔だけど、地方のテレビ番組に出演したとき、AKB48の何人かが楽屋へ挨拶しに来てくれたんだよね。でもよく考えたらNMBとかSKEのメンバーだったのかもしれないし、それが誰だったか、まったく覚えていなくて。その時のメンバーじゃないよね?「はじめまして」?

柏木:つんく♂さんとお話するのは初めてです。AKB48はメンバーの人数が多いので、なかなか覚えられないですよね。私はAKB48ができて約1年経った頃に加入した3期生で、今年の4月30日にグループを卒業しました。AKB48は今、20期のオーディションをしているところで、私はかなり初期のメンバーです。

つんく♂:AKB48が登場した頃、僕も本当に忙しくて。情報が交錯すると頭がエラーを起こすような状況だったから、意図的に日本のアイドルの情報をシャットアウトしていた時期だったんだ。だから、あまり他のアイドルを詳しく追うこともなかったんだよね。

でも、秋葉原の文化が大好きだったので、1〜2年かけて秋葉原アイドルを育成し始めてたの。そこに時東ぁみやTHE ポッシボー(後のチャオ ベッラ チンクエッティ)もいて、じっくりじわじわ浸透させてく計画の途中に、秋元康さん率いるAKB48がいきなりドン・キホーテ秋葉原店でAKB48劇場を始め出したの。それはもう驚いた。「あんなに名の通ったでっかい勢力を、秋葉原の人たちは受け入れられないだろう」と、ちょっと斜めから様子を見ていたんだよね。

柏木:そういう見方をされていたんですね。私が加入した当時のAKB48は、まだテレビ番組で取り上げられることもなくて、AKB48劇場があるだけでした。私たちとしては、「毎日劇場に立てれば十分」という感じだったので、ここまで有名になったのは想定外でしたね。よくわからないまま突っ走ってきたところがあるんです。

つんく♂:秋葉原のファンってすごく繊細で、僕が「はい、どうも、つんく♂で〜す!」みたいな顔して近寄ると、ささっと引いていく感覚があったんだよね。だから、なるべくつんく♂感を出さないようにやってた(笑)。

柏木:すごい! 秋葉原のファンの方が繊細って、相当見ていないと出てこない言葉ですよね。本当にその通りで、当時はちょっとしたことでファンがついたり、離れたりを繰り返していました。だから「アイドルとファン」というよりは、「人」として人間関係を築くイメージで接していましたね。

つんく♂:そうなんだ。当時、AKB48劇場の下の階のメイドカフェでもこっそりとお手伝いをさせたりしていたんだけど、そんな時に、AKB48がドカン! と来て。しばらく「右往左往してるな〜」と感じながら見てたけど、結局あそこまで粘り切って勝ち抜いたのはすごい。本当に驚いたな。僕が秋葉原が好きだったから、頭の中で敷居の高さを感じていただけかもしれないけどね。

柏木:当時の秋葉原は、アニメとアイドルと電気製品がまとまらずに存在していましたよね。

つんく♂:しかも、ドンキ界隈とそれ以外の秋葉原のファン層って全然違ったから、どうなるんだろうと見ていたんだけど、メキメキと力をつけていったので「すごいな~」と思いました。あの頃のAKB48って、ステージのMCも毎日新たなファン獲得のために四苦八苦しているメンバーたちならではの言葉が出ていたよね。モーニング娘。は、6~7期くらいからは既存ファンありきのトークになっていたから、きっと結構な下駄を履かせてしまってたんだろうなって思います。

柏木:つんく♂さん、トークやMCまでチェックされているんですね。モーニング娘。の皆さんには、MCに関してアドバイスをしていたんですか?

つんく♂:だらだら長くなるのと身内ネタが嫌いなのは伝えてたな。でも、地方公演の様子まではチェックできないんだよね。たまに観に行くと、だら~っとしたMCをやっていたこともあったよ。そりゃ、ツアーについて回ってるファンにはたまらんけど、その地方の方で、初めてライブに来た人にとっては「え? なになに?」ってなって孤独感を与えてしまう。「次は行かない」ってなっちゃうんよね。

まあ、そんな具合で、地方に急に僕が来てたことを後から知ったメンバーが、「つんく♂さんが来るなら、ちゃんと教えといてよ!」ってマネージャーにマジで怒っていたみたい(笑)。

柏木:きっと、私でも同じことを思いますね(笑)。気持ちはすごくよくわかります。地方公演はDVDにならないから、ちょっとだけのんびりした気持ちになってしまうんですよね。アイドルあるあるなんだな、と安心しました。

坂道の登場がAKB48に与えた影響

つんく♂:さっきも話していたけど、日本のアイドルの情報をシャットアウトしていた時期だったので、申し訳ないんだけどAKB48のことをリアルタイムで追えていないんだよね。あの頃は、ももいろクローバーZとか、Perfumeが出た頃でしょ。AKB48が紅白に出場するようになって、『ヘビーローテーション』あたりからは知っているけど、それ以前はあんまりわからないんだよね。メンバーも板野友美さんとか篠田麻里子さんとかはわかるけど……。

指原莉乃さんがHKT48に移籍した、とかも知っていたけど、当時の背景は知らないままだった。時々、「相当なモーニング娘。好きがAKB48に在籍しているらしい」と情報が入るくらい。気が付いたら、ジャカルタを中心に活動するJKT48まで出てきて「すごいな」と思って。そうしたら、今度は乃木坂46や欅坂46といった坂道シリーズが出てきたじゃない? AKB48と坂道シリーズは、どう違うの?

柏木:坂道シリーズも秋元さんがプロデューサーですが、所属事務所とレコード会社が違うんです。AKB48はキングレコード、坂道シリーズはソニー・ミュージック。プロデューサーは同じでも、グループとして交わることはほぼないんです。

つんく♂:会社も別でやってるんやね。やっぱり秋元さんは百戦錬磨ですごいな。僕はハロー!プロジェクトと並行して色々やっていたけど、そんなにバランスが取れなかったから(笑)。

柏木:もともと、AKB48がソニー・ミュージックにいたんですけど、売れなさ過ぎて契約終了になっちゃって。それをキングレコードが拾ってくれて。その後、ソニー・ミュージックから「もう一度アイドルをやりましょう」と声がかかって、乃木坂46ができた流れです。

つんく♂:やっぱり、ライバル構造になっているの? 

柏木:AKB48が一番忙しい時期に乃木坂46がデビューしたので、その時は気にする余裕もありませんでしたね。それが数年経つと同じくらいの人気になって、今や乃木坂46の方がライブ動員数が多くなりました。

つんく♂:理由は、何だったと思う?

柏木:AKB48は歴史が長い分、メンバーが入ったり卒業したりを繰り返しているので、世間の人たちがついてこられない部分があったんじゃないでしょうか。「AKB48は知っているけど、今のメンバーは知らない」とか、「今の曲はわからない」とか言われてしまうこともあるんです。当時の乃木坂46は新しいグループだったので、一から応援できるのでそれが良かったのかなと思います。

つんく♂:グループのコンセプトとして、ジャンルやダンスに大きな違いはなかったの?

柏木:ありました。乃木坂46の方が清楚で、より女性アイドルらしい要素が多いと思います。スカート丈が長かったり、ダンスも優雅だったり。AKB48は何でもやるんですよね。バラエティーでも何でも、がむしゃらに頑張る。その辺りは、真逆だなと思います。

つんく♂:柏木さんは、在籍したAKB48を振り返ってどう思うの?

柏木:私には、AKB48が合っていたと思います。汗をかいて頑張るのが好きでしたから。そう考えると、グループのコンセプトによって、メンバー自身の個性が合う、合わないというのもあるでしょうね。ファンの方もそうだと思います。汗をかいて努力するグループが好きなのか、完成された美しいグループが好きなのかで、分かれますよね。

つんく♂:時代的にはK-POPも根付き始めてた頃だし、日本のアイドルのハードルもググッと上がって来たころだろうし、差別化が必要になっていったね。

柏木:そうですね。坂道シリーズもこれからメンバーの入れ替わりが続いていくと思うので、どうなっていくのか楽しみです。

つんく♂:そう考えたらハロー!プロジェクト系もAKB48も坂道シリーズも、壁を作っている場合じゃないやん。日本のアイドルとして、アイドル業界をどう支えていくかを考える時が来たのかもしれないね。

柏木:本当にそうですね。アイドルが一致団結する時が来たのかもしれません。でも、メンバーとしてグループで活動していると、そこまで考える余裕がないのも事実なんです。まずは「ここでどうにかやっていこう」と、グループ内で必死になっちゃうんですよね。

今振り返る、モーニング娘。8期オーディション

つんく♂:AKB48にはどれくらい在籍したの?

柏木:17年間です。

つんく♂:ハロー!プロジェクトで一番長いのは、譜久村聖か。ハロプロエッグ(現在のハロプロ研修生)から数えると15年間在籍したから。年齢的には、譜久村とどちらが上?

柏木:私の方が年上です。

つんく♂:柏木さんも、実はモーニング娘。8期のオーディションを受けてくれたんでしょ? 柏木さんは、鹿児島出身だよね。そういえば当時、地元では『ASAYAN』(テレビ東京)は放送していなかったでしょ?

柏木:いなかったですね。『ハロー!モーニング。』(テレビ東京)も放送されていませんでした。

つんく♂:テレ東をキー局としたモーニング娘。のオーディション番組が地方でも放送されるようになって、いろんなところ(地方)からオーディションに参加する子が出てきたんだよね。僕、柏木さんのことを覚えてる。鹿児島から残った子は、初めてやったから。

柏木:嬉しいです! ありがとうございます! あのオーディションで、初めて3次審査まで残れたんです。

つんく♂:しっかりと歌っていたし、「田舎から来ました」という野暮ったさもなかったよ。ただ、当時のモーニング娘。に入るには、年齢的に微妙なタイミングだったのかもしれない。

柏木:その場に行ったらオーディションが受けられるスタイルで、すごく緊張したのを覚えています。私の母がシャ乱Qのファンで、つんく♂さんが作詞・作曲をしていたモーニング娘。の曲も小さい頃から家で流れていたんです。小学2年生の時に鹿児島で母とコンサートを観に行ってから、ハロー!プロジェクト一色の人生が始まりました。つんく♂さんの楽曲しか聴いてこなかったですね。

つんく♂:そうらしいね。お母さんは僕らくらいの年齢かな?

柏木:60歳くらいですね。私が幼稚園の頃からシャ乱Qのファンでした。すごく好きで、アルバムも全部買っていました。

つんく♂:鹿児島では『ASAYAN』が放送されていたわけじゃないから、モーニング娘。が駆け上がっていく様子は知らないんでしょ?

柏木:そうですね。音楽番組でなんとなく見る機会はあったんですけど。

つんく♂:そこからAKB48のオーディションを受けて、お母さんと一緒に上京するんだよね?

柏木:そうです。最初は1年間の予定で母がついてきてくれたんですけど、結局長く東京にいましたね。

下積み時代から、劇場に立つのが好きだった

つんく♂:AKB48の3期生になって、上京した当時は、どんな生活をしていたの?

柏木:テレビのお仕事はありませんでしたが、高校にあまり通えないくらいレッスンが詰まっていて忙しかったです。当時の私はステージに立てたら十分で「秋葉原の劇場に高校生活の3年間立てたら自分も満足するだろう」って考えていました。劇場に立つのはお仕事だけど、お金がたくさんもらえるわけじゃないから、部活であり、バイトみたいな感覚でもあって……。でも、高校3年生くらいから急にAKB48の人気が出てきて忙しくなって、辞めるとかそういう選択肢を考える暇もないくらいになりました。こんなに長く続くとは、正直思っていなかったですね。

つんく♂:逆に言うと、みんな卒業したり辞めていったりしたわけじゃんか。柏木さんが長く残れた理由はなんだったと思う?

柏木:一番は、楽しかったからですね。大人数のグループの中で自分の立ち位置があって、歌ったり踊ったりするのが本当に大好きだったんです。もともと「握手券が売れなくなったら辞めよう」とか、「立ち位置が3列目になったら辞めよう」みたいなけじめは自分の中であったんですけど、続けられました。

つんく♂:そこから、卒業を決めたのはなぜ?

柏木:グループを卒業するきっかけになったのは、今のAKB48の若いメンバーとすごく仲良くなって、「この子たちの卒業を見送るのは辛いな」と思ったからです。「この子たちに見送ってもらうのを、最後の目標にしよう」と決めました。

つんく♂:柏木さんは17年間アイドルを続けたけれど、なんでそんなに長く続いたんだろ? って思う。基本的には、アイドルって4年半くらいが限界だと僕は思うんだよね。

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