ハロプロ不合格から這い上がったアイドル・寺嶋由芙が、つんく♂の前で大号泣!
noteマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」、対談企画第8回目ゲストは、今年でソロデビュー8周年を迎えるアイドルの寺嶋由芙さん。ハロー!プロジェクトに憧れ王道アイドルを目指すも、様々な苦難の道を歩み続けてきた寺嶋さん。前編ではアイドルを目指した理由から、そこに至る長い、長い歴史をつんく♂が根掘り葉掘り! 寺嶋さんの瞳に輝くものが……。(後編はこちら)
(文 田口俊輔 / 編集 小沢あや)
つんく♂:こうして話すのは8年半ぶりやね。
寺嶋:『つんつべ♂』に出演したのがもう8年半前と聞き、ビックリです。
つんく♂:あの頃は確かまだBiSに入ったばかりのころかな?、大学生だったよね。
寺嶋:はい。その後、大学も無事卒業して、今もこうしてソロアイドルをやれています。
つんく♂:時代が変わったよね。昔ほしのあきが30歳でグラビアアイドルをやっていた時、「30歳でアイドル!?」と、だいぶ話題になっていたから。
寺嶋:そうなんですか!? 30歳でアイドル、話題になるレベルだったんですね(苦笑)。今では私より年上の方、経歴が長い方もアイドルを続けている子がいるし、すごくありがたい環境です。ただ、「グループ内にベテランがいる!」という状況はあっても、ソロで同世代なのは、吉川友ちゃんぐらい。彼女とイベントで一緒になると、「ソロ、私たちだけだね」と助けあっています(笑)。
つんく♂:その関係、ええなあ。
“プロ・ソロアイドル”寺嶋由芙、誕生秘話
つんく♂:改めて、BiSに加入した経緯を聞きたいんやけど。
寺嶋:小学5年生の時にハロプロのオーディションを受けて以来、ずっと色んなオーディションを受け続けては落ちてを繰り返し、気づいたら大学生になっていたんです(苦笑)。約10年前のアイドルオーディションは、「年齢制限は17歳まで」が多くて、アイドルをやるには、ライブアイドルとしてひとりで活動するしかなかったんです。
つんく♂:へぇ! 最初は今と同じく、ソロやったんや。
寺嶋:途中で「地下アイドルの活動を続けていても、憧れのモーニング娘。みたいになキラキラしたアイドルにはなれないぞ!」と気づいて。改めて、私の年齢でも受けられるオーディションを探して、シンガーの川嶋あいさんが所属している「つばさレコード」のオーディションを見つけたんですよ。当時つばさに所属していたグループのプロデューサーとメンバーが見に来ていて、そこで誘ってもらったんです。「ここを断ったら二度とアイドルにはなれない!」と思って入れてもらった、という経緯です。
つんく♂:へぇ~! 『つんつべ♂』には色々なアイドルが出てくれたけど、BiSは特にイロモノ枠みたいな感じやなあと思ってたんよ。けど、ゆっふぃーは、その中にいながらピュアで、良い意味でポツンとしていたよね。
寺嶋:ふふふ、浮いていましたか(笑)。
つんく♂:だから『つんつべ♂』が終わってからも「あの子、どうしたんやろう?」と気にはしてて。ネットニュースで、「BiSを卒業」ってニュース見た時は驚いたけど。BiSは最終的に横浜アリーナみたいな、大きなコヤも経験したわけやん? 卒業したのは「私、やりきった!」という想いがあったから?
寺嶋:全然! もちろん、色々と経験しましたが……たとえば「ライブ会場が埋まりませんでした」というダメな部分をネタにしたりと、自分が小さい頃に思い描いていた「アイドル」とは全然違うことをやっている感覚が常にあって。しかも、お給料もいただけていなかったんですよ。
つんく♂:そこだけ聞いたらブラックやけど(笑)。実際儲かってなかったんやろな、きっと。
寺嶋:ファンの方々が優しい方ばかりだったので幸せだったんですが、グループの方向性やプロモーションの内容を考えた時、「ここにはいられないな」と思い、辞めました。
つんく♂:脱退後は、どんなことをしようと考えたの?
寺嶋:もう一度、グループアイドルに入るつもりでした。辞める直前に、当時同じレーベルに所属していた、仙台のご当地アイドルグループ・Dorothy Little Happyちゃんと共演する機会がありまして。
ドロシーちゃんは、みんな清純派で可愛くて、歌もダンスも上手いという“これぞ王道アイドル”で。その子たちとのコラボを経験したことで「私、王道アイドルになりたかったんだ!」と思いだしたんですよ(笑)。「モーニング娘。さんや、ドロシーちゃんのような、私が応援していたアイドルのようになろう!」と、グループアイドルのオーディションを再び探していたんです。
つんく♂:へえ! グループに入るつもりやったんや。それがなんでソロに?
寺嶋:オーディションを探す最中、今もお世話になっているディレクターの加茂啓太郎さんにお会いしたんです。その方は、グループの握手会に一度来てくれたことがあって。加茂さんが「アイドルのプロデュースをしたいので素材を探している」とお話をくださって。その流れでユニバーサルミュージックから1曲リリースすることが決まったんです。マネジメントも引き受けてくれることになり、オーディションを受ける間もなくソロになっていました(笑)。
つんく♂:なるほど! ソロアイドルになる運命やったんやろうね。普通22、3歳ぐらいになると「アイドルになりたい!」より、「アーティストやマルチなタレントになりたい!」というか。「アイドルじゃないんです~!」という顔が、チラチラと出るものやん? そうした方向を選ばなかったのは、なんで?
寺嶋:アイドルが一番楽しいし、一番可愛いと思っているので。正直、なぜわざわざアイドルを脱ぎたがるのか、気持ちがわからなくて。その想いは、30歳を迎える今も変わらずです。
つんく♂:素晴らしい! そう、確かにミッキーマウスはずっとミッキーマウスやからな。ゆっふぃーの姿勢はまさに「プロアイドル」やね。同じ「プロアイドル」に道重(さゆみ)がおるけど、あの子はまさに30歳を越えた今でも“可愛い”を頑張り続けている。
寺嶋:道重さんは“道重さゆみの世界”を確立されていて、「さゆがいくつになろうと我々は付いていくだけ!」という気持ちにさせてくれるんですよね。憧れの人です。
つんく♂:可愛らしくあり続けるって、すごいよね。かっこよくなるって、意外に簡単やから。俺はアイドルを卒業した子が、みんなアーティストぽくなっていくのは寂しいなといつも思っていて。その中で、ゆっふぃーが「プロアイドル」を突き進み続けているのは素晴らしいよ。
寺嶋:頑張り続けます!(深々と礼)
「モーニング娘。になる!」と決めた少女の、初めての挫折
つんく♂:ゆっふぃーの“アイドル以前”の話を聞きたいねんけど。幼稚園の頃は、何をしていた?
寺嶋:母の勧めで、近所のエアロビ教室に通っていました。
つんく♂:なんでエアロビ!?
寺嶋:親に聞いたところ、その当時はエアロビがブームだったらしくて。そのスタジオは専門的なレッスンではなく、楽しく音に合わせて踊りましょうというもので。友だちと一緒に踊るのが楽しかったんです。
つんく♂:普段はどういう子やった?
寺嶋:セーラームーンごっこをしたり、歌詞の意味も分からず『CAN YOU CELEBRATE?』を歌ったりしているような、普通の子でした。
つんく♂:小学生の頃はどうだった? 高学年ぐらいになると、異性を気にしだすやん。
寺嶋:いやあ、あまり異性を気にしていなくて。女友だちと遊んでいる方が楽しかったです。ちょうどこの頃、クラス中でモーニング娘。さんが大ブームになっていて。私は『サマーナイトタウン』のタイミングで知ったのですが、その瞬間に「私、ここに入ろう!」と思いまして(笑)。2002年に開催された「ハロー!プロジェクト・キッズオーディション」を初めて受けました。
つんく♂:会場は、幕張やった?
寺嶋:はい。「私も受けたい!」と思いつつ、親には恥ずかしくて言えず。なんとなく「◯◯ちゃんも受けるらしいよ?」と、毎日さりげなくアピールしていました(笑)。そのおかげで親が書類を出してくれて、会場では安倍なつみさんのソロ曲、『男友達』をアカペラで歌いました。
つんく♂:会場に俺もいたから、きっとそれ見てるね。あの時は見つけられなかったんやなぁ〜。
寺嶋:いやぁ~、気づいてほしかったですよ〜(笑)! 私、本当にモーニング娘。が大好きで、MVもたくさん見ていたし、「受かるに決まっている!」と、確信していたんです。受かった時のためのイメトレもしたけど、見事に落ちて、すごくびっくりしたんですよ! 「なんで!?」って。哀しさより、驚きの方が勝っていました。
つんく♂:(笑)。面白がっちゃ失礼やけど、その反応は面白いなあ。
寺嶋:確か、受かった子は別室に行くんですよね。その別室に向かう子の多くが、かなり個性的な恰好をしていて。特にガールスカウトの制服を着た子の印象は強く今でも残っています。私はいつも通りの格好で行っていたので、戦いは恰好からはじまっていたんだ!と、そこで学びました(笑)。
寺嶋:しかも、私は趣味でのほほんとダンスを習っていたわけですが、集まった子たちは選ばれるために色々と積み重ね、選ばれるべくして選ばれる道を歩んできたんだと気づいて。小5ながら「これまでの時間、私は一体何していたんだろう……」と後悔しましたね。ただ、あの日、参加賞的にいただいた記念のペンダントは今でも大切に持っています(笑)。
つんく♂:それは嬉しいね(ニッコリ)。結果落ちてしまったわけやけど、その後に開催されたオーディションも受けたの?
寺嶋:いえ。キッズの落選が本当にショックで、しばらくは「もうムリだ」とハロプロを受ける勇気が湧かなくて。ただ、アイドルになりたいという夢は諦められず、小6から渋谷のスクールでボイトレに通い始めるようになりました。確か入った時は私が最年少で、周りは社会人をやりながら本格的にプロ歌手を目指すという方がほとんどでした。
つんく♂:そういうプロフェッショナルなスクールに通うということは、歌がホンマに好きやったんやね。
寺嶋:はい。ただ、このスクール内で開催される、歌手デビューへと繋がるオ―ディションが開催されても、最年少ということでおこぼれの特別賞をいただくことはありつつ、グランプリのようなデビューに結びつく賞をいただくのは大人の上手な方で。そこでもドンドン「私、ダメだ……」という挫折体験を積み重ねていく時間を、中学卒業まで過ごしていました。
つんく♂:普通なら折れてしまうのに、ずっとアイドルを目指し続けていたんや。スゴイわぁ。
寺嶋:それ以外の道が考えられなかったんですよね(苦笑)。
中学生時代:初恋、文通、勉強、二度目の挫折
つんく♂:中学になると誰かを好きになったり、告白された! みたいに、恋愛に向かったりした?
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